障害当事者の私と、障害児を持つ叔母と。
私が「ADHDの可能性大」と診断されたのは36歳のときだった。
それまではちょっとオモロイ天然系として色々な職場に従事していた。
もちろん子供時代から成人後まで…えげつないイジメにはあった(苦笑)。
濃いめの剛力彩芽フェイスに天然キャラときたら、パートのおばちゃん総攻撃かけるわな(笑)。
何度か記事に書いているけど、私には2歳でADHDの診断を受けているいとこの女の子がいる。
もう15〜6年は会っていない。
私のハハは三姉妹で、長女がキツイ性格で自分の娘にも「死ね」とか「お前なんか嫌いだ」と言っていた。
たぶん健康な精神はしていなかった。
娘たちは色々なところでたぶらかされ、孕まされてきた。
娘たちも健康には育たなかった。
次女の私のハハは言わずもがな。
私という娘に暴力を振るう重度の人格障害だった。
一番下。三女の娘が、2歳でADHDと判明していた。
三女、私の叔母はおっとりしており一番気立てが優しかった。
むしろ気弱すぎたため職場でいじめられていたところを男性に助けられ、その男性のお嫁さんになったようなおっとり女性だ。
このADHDっコがよく私に懐いていて、私も特に可愛がった。
私の妹が嫉妬して泣くくらい可愛がった。
「なんでそうなるんじゃ?」
ってことをやらかしてくれるところも、可愛くて仕方なかった。
何かやらかしてピーピー泣き出すたび、
「見て分からんかいな!」
と叱りながらも抱っこして撫でていた。
そんなADHDっコに同じADHDの彼氏ができて、2人してバイク事故に遭い、死にかけた。
そこから2人で立ち直って、2人は愛し合っていることを再確認したらしかった。
母である私の叔母に食って掛かる。
「どうしてダメなん?
お母さんはバブちゃん(赤ちゃんのこと)産んだやんか?
私を産んだやんか!!
なんで、みっちゃんは産んだらあかんの?
みっちゃんも〇〇くんとのバブちゃん欲しい!!
みっちゃんもバブちゃん欲しい!!
産んだらあかんなんて、
作ったらあかんなんて…
お母さんたち勝手すぎる!!」
高校生になったADHDっコこと、みっちゃんは彼氏との未来を描いていた。
でも、自身にも、彼氏にも、就職先がないことをわかっていなかった。
障害が遺伝することすら理解していなかった。
母親は、
「ごめん…ごめん…」
しか言えとおらず、私の目には哀れに見えた。
娘が、娘自身の障害により、生計を立てられないことを理解していない。
それよりも、❝ふつーの子❞に産んでやれなかったことに泣きながら詫びているように見えた。
当時の私は自分をADHDと知らない。
みっちゃんも、お母さんもそれぞれ苦しんでいるように見えた。
どちらが悪いとか正しいとかじゃなくて。
どちらも辛いんや。
そう思うた。
いとこのみっちゃんはずっと特別支援学級だったから、少し知的な遅れもみられた。
言い含めるのにこちらが苦心することも少なくなかった。
たまに思う…。
もう15〜6年も会ってないみっちゃんは今30代のはじめだろう。
みっちゃん、どうしているかい?
〇〇ねぇちゃんはまだ独身だよ。
バブちゃんは作らないよ。
みっちゃんは幸せかい?
みっちゃんが幸せなら、〇〇ねぇちゃんも幸せだ。
みっちゃん…
みっちゃん…
家系的に障害者の多い私はたまに思いを馳せて泣く。
穏やかであってほしい。
安らいだ日々を送っていてほしい。
もちろん、自分自身にも。
どんな大人なったのかな、みっちゃんは。