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あの、それ私です。

私は本来、暗記ができない。
暗算?できるわけないだろ。

繰り返し繰り返し、何百回も何千回も計算問題を繰り返して、身体に覚え込ませて、脳で答えを出すのではなく『条件反射』にしてしまうことで中学時代に『優等生』というポジションを得た。
もう、鉛筆を持つ手が私の『脳』だった。
年号の暗記カードはオリジナル語呂合わせを編み出し、同級生の3倍以上の厚さになってしまった。
(どんな語呂合わせにするかアイデアを練る段階で頭に入るから不思議)
厚さもハンバーガーどころではなかったためリングを3つに分けたが、それでも進学塾に通う連中が怯えていた(いや、気味が悪かっただけかも😅)。

なぜなら、私はワーキングメモリーと処理速度の数値が低かったからだ!

虐待によって衝動性を削ぎ取られたADHDだと言うことは最近わかったことではあるが、私が努力家であったことは間違いない。


そんなこんなで、本来なら受かるはずのない難関高校に入学できた。

入学式までに一年生の一学期の最後までの参考書を読み込み、問題集を終わらせ、提出する必要がある。
そう、入学式後からはじまるのは二学期の授業なのだ。

スパルタというよりは異常に生徒同士を戦わせ、潰し合うことを推奨していた。

当然保健室は心身が弱った生徒で溢れかえり、手首に包帯を巻いた子も少なくなかった。



私は入学前にすでに言葉が発せず拒食に陥っていたのであるが、1〜2週間くらいは教室に入れていた。

それはある試験の日だった。
毎日ハーフ試験みたいに(プチテストみたいな可愛いもんじゃない)何かしらあったけれど。


同じクラスのメガネをかけた女の子がオロオロしていた。

どうしたのかなぁ…

『…ど、どうしよう…筆箱忘れちゃった!』

あ、それは焦るよね…


すると教室の端のほうから、
『あら〜、忘れちゃったの〜?』
『た〜いへ〜ん』
『っしゃ、つぶれた』
『ラッキー』

なんて聴こえてくる。

イヤな子たちだな。
コイツらみたいなのキライ。


❝優しさより大切なのは潰すこと❞
それがこの学校だもの。




だが、私はタダモノではない。

予備がなくては心配な子なのだ!

私のロッカーも鞄も『予備』ばかり入っている。

私は自分のロッカーから予備の筆箱を持ってきた。

メガネをかけた女の子に差し出した。

…使って。
…消しゴムも気にしなくていいから(フィルム取っていいよ)。


メガネの女の子は一瞬キョトンとして、
『いいの?』
と訊いた。

…うん。


教室の端から
『バカじゃねぇの』
『余計なことしやがって』
と聴こえてくる


…全力で戦ったわけでもないのに、貴様らは『勝負』したと胸を張って言えるのか?
くだらねぇ

(ある意味しゃべれなくなっていてよかったのかも…口に出していたら後に面倒なことになっただろう)





数週間経って私は学校へは行けなくなり、入学から2ヶ月で留年が決定した。

それでも私の母は保護者会に出た。

帰ってきて私に言い放った。

『今日なぁ、親御さんの中に❝試験のときに助けてくれたポニーテールの女の子のお陰でうちの娘は、まだ学校通えてます!本当にその子に感謝してます…❞って言っとる人おったわ。
そういう優しい生徒もおるんやから、アンタもグズグズしとらんと学校行きゃあよかったんだわ!!』



……そりゃ私だよ。

ポニーテールの女の子は、私だよ。

そっかぁ、あの子まだ学校行けとるんか。
よかった…。



目の前にいつもポニーテールを結っている、気の弱い女の子がいるというのに。
さすが私の母親だ。
気が付かないなんて。


そう思いながら、またいつものように窓枠内を流れる雲を見つめて『雲が流れてるんじゃなくて私が回ってる感』を楽しんでいた。

その行動は私が幼い頃からやっている現実逃避手段。
一種の『体感できる空想』であった。




その高校は多数の難関大学合格者を現在も出しているが、同時に多数の自傷者とメンタルクリニック患者を出している。

今でもだ。


❝学べ❞と言う側が、何も学んでいない。

20年以上経っても変わらないのだから、もう学校が病に侵されているのだろう。




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