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ダウンしていた間、紙のノートに書いてきた自分の日記を読んでいたら気づいたこと。

私はこのnote以外に2つ紙の日記を長年つけています。
日々の出来事を『記録』だけする、スケジュール帳プラスαプチ日記欄と、心や気持ち、感情にフォーカスしたもっと深くて長い日記。

私は自己に曝露療法を独断で続けて、身体を壊してダウン…。

その間、長年書き続けた日記を読み返していました。
今の賃貸住宅に夜逃げしてくる前や、賃貸の部屋の内覧や、夜逃げ準備や、夜逃げ決行の瞬間など沢山の出来事が書かれていました。
そして、何度も出てくる『私を物のように言うな!』『サンドバッグにするな!』。

何度も出てくる『こんな暴言暴力からは必ず逃げ切ってやる!』。


そして、たくさん出てきたのは、
『穏やかに暮らしたい』
『静かに暮らしたい』
『もう、荒らされたくない』
『もう、怯えて暮らしたくない』
『召使いや奴隷にされるのはもう堪えられない』




『穏やかに暮らしたい』

これが私の一番の望みだったのね。


バリバリ稼ぎたいわけでも、たくさんのお金が欲しいわけでもない。

ましてや、戦いたいわけでもない。




そっかぁ…、そっかぁ。


わたし、穏やかに暮らしたかっただけで、こんなに頑張ってきたんだ。

苦行する釈迦像を彷彿とさせる後ろ姿になった自分(社会科の教科書に載っていたやつ、歳バレんぞ・笑)。
背中側のあばら骨がひどい…

自分が住むエリア内には私を治療できる者はいない。

車で通える範囲にはいない。




長い目で見て、穏やかに暮らすために。

私は治療を受けたい。

『恐怖』を専門に扱う地方の大都市のクリニック。

日本ではあまり使われない薬や、曝露療法も緩やかなものからやってくれるといってくれた。

まだ心理士さんとの相性がわからないから、絶対あのクリニックと決めたわけじゃないけど、治療がしたい。




穏やかに暮らす術を身につけるために。



私は戦うために家を逃げ出してきたんじゃない。

もう戦えないから、穏やかな生活を求めて必死で逃げ出したんだ。


それが私の2~3年前の日記からよく読み取れました。


私は私が
『逃げなきゃ!穏やかな生活のために…!』
と逃げ出してきたことも忘れて、必死で出ケツしながら単独曝露療法で戦ってしまいました。
(ちが苦手です、漢字見てもグラッとなります)



私は、生活保護になって治療ができるなら。
なってもいいかなと考えが変わりました。


自力で働いて、稼いで、治療に行ける状態なんかじゃなかったんです。

また仕事に就けるようになったら、仕事に就けばいい。


ダウンして、少しnote以外で自分を振り返っていたら気づいた私が夜逃げしたの最初の目的。


穏やかに暮らしたい。



たったそれだけだった。



穏やかに暮らすために治療が必要なら、治療を受けるために行動や考え方を変えるしかないと気づきました。

生活保護制度で本当に私にとってネックなのは生活のなかの足でした。
車がなくては精神科以外にも色々持っている私は整形外科や耳鼻咽喉科にどうやって行けばいいの?
バス…ないよ?
そればかり考えていました。
だけど、それではメインである精神科医にかかれない。


『PTSD治療メインの生活』を想像した際、電車で都市まで出なくてはならない。

つまり…車で行ける範囲に私を診ることが出来る精神科医がいないのだ。

今まで、すごく車にこだわっていたけど、よく考えたら『車を持っていても精神科医にはかかれない』のだ😅




紙の日記を読み返したら思い出しました。

私、戦うために実家を逃げ出したんじゃない。

❝ただ、穏やかに暮らしたい…❞

それだけだったんだなぁって。



だから、治療を受けたい。


完全に恐怖を払拭するのは難しくても、せめて今よりはマイルドな状態にしてやりたい。






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