《虐待》ホラー漫画がドキュメンタリーだった。
今、通っているクリニックにはいくつも漫画が置かれている。
その中に、楳図かずお作品もある。
あの作品は『父親の再婚相手に娘(主人公)が襲われ続け、周りが誰も信じてくれない…』という内容である。
最後には、新しいお母さんは精神病で病院に閉じ込められるというオチのものだ。
今のクリニックは発達障害の患者さんが圧倒的に多く『親御さんとともに生きていく』『親御さんのありがたみを噛み締めながら生きていく』というパターンが多い。
事細かに医療へ報告してくる成人後の患者の『お母様』たちの電話が受け付けにひっきりなしにかかってくる。
成人後の患者にも『先日、お母様からご連絡いただきましたよ。△△さん頑張ってみえますね』と話すのがイヤでも聴こえてくる。
待ち合いも大きなお子さんを連れた親御さんでいっぱいだ。
おそらく、楳図作品を置いた意図は『優しい親御さんを大切にね』ではなかろうか…と勝手に、そう『私は勝手に思っている』。
私は15歳のとき、初めて楳図かずお作品を読んだ。
同じ頃に日野日出志作品も読んでいた。
他のホラー作家さんの作品もかなりの数買い集めていたが、豪華版が出るたびに買っていたのは楳図かずお作品だった。
先に書いた通り、特に『子供相手』のホラー作品は『ママ(もしくは両親)』が襲ってくる話が多い。
親族が加害者である話も多い。
そして、襲われた子供は『嘘をつくんじゃありません!』と周囲の大人に叱られる。
信じてもらえないのだ。
日野日出志作品も同じことが言える。
私は彼らの作品を読み、安心していた。
『あぁ…、よかった…。』
『うち…マシだぁ〜(*^^*)』
日野日出志作品で印象に残っているのは『紅い蛇』と『恐怖列車』だ。
紅い蛇は、気の狂った家族に囲まれて暮らす『ぼく』の日常を描いた作品。
最後のシーンは、比喩的に『ぼくはこのうちからでられない』という表現だった。
いや、比喩でもなかったか。
家から出られない『ぼく』と、15歳の私は重なってしまった。
『恐怖列車』は作品中に両親がそれぞれ刃物を持って主人公の少年を殺そうと追い回すシーンがある。
『待てぇぇぇっ!!』
『待てぇぇぇっ!!』
私はよかったと思った。
『うち、包丁振り回すの1人だけでラッキー♪』
今思えば、ラッキーなもんか💧
麻痺しちゃってたんだよ。
当時の私はホラー漫画にのめり込んでいたが、それはそこに出てくる主人公たちをある意味『実在人物』みたいに捉えていたからだろう。
ドキュメンタリー番組みたいなものだったのだ。
私にとっては。
フィクションとわかっていて、読むのが止められなかった。
読み終えたときの安心感が、堪らなく心地よかったから…
あ…、こんなお家もあるんだ…。
よし、頑張ろう!
いっぱい勉強して、はやくお金を稼げるようになるんだ!!
『ぼく』は出られなくても、『私』は違うんだ!
ホラー漫画は当時の私にとっては前を向くための原動力だった。
(まさかね、PTSDを診てもらいたくて行ったクリニックで落差激しめ発達障害さんと判り『勉強というか❝テスト❞は苦手なはずだよ?記憶弱いから…』と言われるなんて😱
しかも30代後半でさ)
しかし、昔のホラー漫画はけっこう高確率で『加害者が精神病』というオチだったから『気分良くは読めなかった』よね。
自分自身15歳で『うつ病』と診断されていたから。
でもね、若いうちは『うつ病』なんて本来ならないの。
うつ状態に追い詰めるナニカがいるのよ、近くに。
加害者は精神病でした〜、ちゃんちゃん!
いや…みんながみんなこうじゃないがね〜😥
と、思いながら、壁の一点を見つめてじっとしている母を横目に見ていた。
********おまけ*********
今はね、ホラー漫画はもう身体が受け付けません。
妹の自傷を止められなかった、寄り添ってやれなかったという現実が、私から『ケツエキ』に対する耐性を奪い去った。
今はもう、絆創膏の宣伝も怖い。
私は女性だから毎月の月経も試練である。
登録販売者になりたくて参考書を開いたが、いたるところ『ケツ(漢字)』が出てくる。
全部、黒塗りにしてカタカナに直してやろうと頑張ったが、時間がかかりすぎた。
それにいたるところに「ケツ」と書かれた参考書は笑えて読めたものではなかった。