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「淋しさを感じるのに時間がかかった」その理由。

たぶん、たぶん。

私は何でも一人でこなしすぎたから。

誰かを頼りたいとか、「あ、あの人に頼もう」とか思いつくことすらなくて。

「一人」が当たり前すぎちゃったんだよね。


福祉関係者からは八つ当たりされるので関わらないようにしているし、頼るとしても、医療くらい。

どんなに具合が悪くても這ってでも自力で役所に書類書きに行くし…

「ゔゔ…昔は糞尿垂れ流しで病院に通ってたんだ…バスで…。
だから、だから、体調不良くらいなんてこと…な…い!!」

(⁠^⁠^⁠;)いや、あるっちゅうの


「誰かを頼る」
「誰かいる」
という状態がなかった。

実家にいた頃からなかった。

アテになるような人がいなかった。

常に一人。

一人が当たり前。

だから、淋しいって感じるのにも時間がかかっちゃったし、「淋しい…なんて私が思っていいのだろうか?」と虚しい問いかけも自分にしたり。

私には「淋しさを感じる価値はない」とオヤに刷り込まれていたことは分かっていたけど、まず淋しさを感じるまでに時間が掛かった。

一人に慣れすぎて、マヒしてたかも。

それくらい、幼い頃から誰にも頼れなかったんだと思う。
人からのお願いは断れないくせにね😥


自分の中のどのへんに「淋しい」を置いてやったらいいのか…慣れない感情の置き場所をまだ探している。


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