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家族である。
久々に帰省して思ったこと。
家族とは
最後の拠り所。
泣いている赤ちゃんの頼り
は、母しかいない。
それから父が、祖父母が、親戚が、兄弟姉妹が、加わっていく。
それから人形も、ペットも、絵本も加わっていく。
園の先生やクラスメイト、近所の人も加わっていく。
友達や友達の家族、学校の先生達に、クラブや塾の仲間、係や委員の人たちも加わっていく。
部活の仲間、他学校のライバルや知人、サークルやグループのメンバー、恋人や恋人の家族、バイト先や仕事場の同僚や先輩後輩、行きつけの店の店員、ネットで知り合った人、、いろんな人達が加わっていく。
頼るところが増えていく。
家族への頼りは小さくなっていく。
でも成長すれば、そんないろんな関係の場を離れる時がやってくる。自然と頼っていた相手に頼ると不自然になって頼れなくなる。いろんな頼りが離れていく。
そうやって近くにあったものが遠くになって
孤独感に苛まれる。
いろんなものが頼りが剥がれていって、
最後に残るのが家族なんだと思う。
だから、そこに血のつながりも、過ごした時の長さも必要ない。最後の最後まで隣にいてくれる人が家族。
泣いている赤ちゃんをあやす家族
新しい家族を持ったぼくの家族の家に帰省して、(寄生して?)、10人の甥っ子姪っ子に会って過ごした。
それで家族について考えてみたくなって、こういう記事を書いてみた。
子どもは泣いて、親を呼び、あやしてもらう。
親は無条件で子どもをあやす。
そんな様子を何度も見た。
嘘泣きだと分かってても、めんどくさいって思ってても、疲れていても、どんな時、どんな状態でも、親が子どもをあやしている。
大変そのものでしかなかった。
それでも子どもの頼りになる存在として、家族があって、傍で面倒を見ていた。
笑って楽しそうにする姿だけで十分すぎるくらいの見返りがあった。愛らしさがあった。
そういう意味では無条件であやしているわけではないが、ほとんどないに等しいぐらい小さな見返りだ。
家族の縁が切っても切れないのは、家族からの無償の愛のおかげなのかもしれない。何もなくても繋がれる縁。何もないから切れないし、どこまでも繋がっている。
もちろん親は子供に何かを期待している。
でも、期待通りにならないから、さようならとはならないのが親、そして家族だと思う。
求めるものがないこと。
あるいは求めるものが非常に小さいこと。
それが家族という関係を作っている。
それがぼくの考える家族。
たぶん良い家族とは、お互いがそうである状態にある家族のこと。
2023
家族になれるような人に出会う。
家族を養えるような仕事をする。
家族のように接する人になる。
この3つを目標にして2023年を生きたいと思います。
遅れましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。