ルックバックを読んで
>> 藤本タツキ先生の「ルックバック」はとても素晴らしい作品であったけれども、大衆が抱える統合失調症への嫌悪感を投げつけられたようで、少し寂しかった。
ルックバックを読んだ。身を引き裂かれるような想いをした。それは多分、私は虚構によって生かされてきた人間だからだろう。ネットを騒がせている考察と言う名の決めつけの羅列には、割と辟易しといる。京アニへの追悼だというのも、精神病患者へのスティグマ化というのも、全ては読み手の受け取り側の自由だ。よしんばそれが正解だったとしても、一体それが何になるというのだろう。もうテスト用紙に花丸を付けてくれる先生は居ないというのに。
何故、自分の見たまま感じたままを信頼してあげないのだろうか。例え拙い感想であろうと、あなたの内側から湧き上がった言葉は大切にしてあげなければならない。読解力の低下が叫ばれて久しいが、本来必要なのは自分の気持ちを他者に伝える技術なのだ。インプットばかりでは、ただの頭でっかちなワンパターン人間しか生まれない。知識だけ溜め込んだ、感性スカスカなつまらん人間になるなよ。決め付けだらけの感想文をごまんと見て、国語教育の限界を感じた。割と本気でそう思う。
主題はルックバック=後ろを見て。冒頭と最後に仕掛けられたアレには、心底ぞわっとした。クリエイターとして、作品内に仕掛けた「仕掛け」を読み手に読み解かれるのは最大の喜びだと思う。
本題に入ろう。身を引き裂かれる想いをしたのは、最初のファンであり、最愛の戦友である京本を亡くした心情はいかばかりか、と考えたからだ。親しい人を失うことは、自分の中の小さな死でもある。喪失により一度は精神的に死んだ主人公。そこから再起させてくれたのは、美しい思い出に耽溺したからではなかった。「上手くなりたい」付き合い続けた日々、積み重ねたもの。一度死んだ藤野を此岸に呼び戻したもの。それは紛れもなく虚構、つまりはフィクションなのだ。我々は日々フィクションに生かされ、フィクションに殺されている。
「自分が、この続きを描かねばならない」
その一念の為に立ち上がり机に向かう藤本の背中で幕は閉じる。美しい思い出に耽溺せず、折れたまま自暴自棄にもならず、黙ったまた戦場に帰っていく。行き場の無い怒りも悲しみも、全て血肉しにして漫画に還すのだろう。その在り方はクリエイターとして最上の強さであり、かく在りたいと願うほど美しい。
>>美大にツルハシ持った男がやってきた、京アニの放火、911、そういったものでなくても世界には常に理不尽で悲しい死というものはあるわけで、それは交通事故かもしれないし病気かもしれないし山から落ちちゃったりとか災害とかあるいは自殺とかもあり得るしもっともっと死のレベルを身近に、矮小にしていけばお気に入りの店が閉店したとか推しが引退したとかソーシャルゲームのサービス終了だって立派な理不尽な死の一種だ。
で、そういった理不尽な死に対してフィクションで対抗することはさっきも言ったけどできる。死を無かったことにすることはできるんだよ。できるんだけど……そんなことしても「それだけ」なんじゃないだろうか。メメントモって……それでどうなります?
そんなとき藤野先生は京本の部屋に自分のマンガが、『シャークキック』があることに気づいた。そんで「あ、これやるしか無いんだ」ってなってよっしゃ続きを描くぞって座って物語は終わる。これ。これが美しい形なんですね。メメント・モらない。いや、気持ちの整理とかは大事だからメメント・モることも必要だとは思うけどそれはそれとしてやっていけ。やっていった方が前向きだし世界に幸せな総数が増えるのでいいです。これが私が『ルックバック』のラストから受けた印象でした。
物凄い才能に出会い、気圧されてしまう気持ちは痛いほど分かる。藤野が京本と出会い、気圧されたように。しかし、読んだ後に何かせねばならないという気持ちにさせるのは確かだ。別にクリエイターに何かを作れと急かされているわけでない。漫画家である藤野が戦う武器として選んだのが、漫画だっただけだ。空手を選んだ藤野だって、ストイックに強さを追い求めたのだろう。この漫画にこめられたのは「各々自分の持ち場を守り、とにかく手を動かして前に進め」というシンプルなメッセージの筈だ。難しい思想はやややこしい思惑は、何一つ無い筈だ。たぶん。
結局は作者が答え合わせをしてくれない限りは、全ての考察は正解であり間違いなのだ。問題は各々が受け取ったものを、どうやって還元していくかだ。つまりは私が作品から「早く手を動かせ、そして漫画を描け」というポジティブなメッセージを勝手に受け取るのも、これは追悼だと受け取るのも、あれは隠喩で暗喩だとわーわー喚き散らすのも、才能が無いから筆を折りますとお気持ち表明するのも、そしてそれを慰め駄サイクルの中でお友達ごっこに興じるのもそれは至って自由なのだ。勝手にしやがれ、馬鹿野郎。
どうせ、一週間後には話題にする人しら居ないんだろうと思うと悲しくなる。だからせめて、この気持ちだけは留めなければならないと思う。魂を奮起させてくれるフィクションに出会えたことに、心から感謝したい。とりあえず、頭すっからかんにして読もう。そして感じたことが、たぶん一番の正解なのだ。たぶん。