見出し画像

加速するテクノ・ゾンビは、テクノ・ブラフマンとなれるのか? (前編)

この記事は、多摩美メディア芸術の卒展の勉強会にスピーカーとして呼ばれたことをきっかけに、「身体」をテーマとして制作してきた私の最近の身体観について散文的に残したものである。

〈目次〉
- 加速するテクノ・ゾンビ
- 存在代行と中動態
- 瞑想
- テクノ・ブラフマンとの合一


「ボディ・サスペンション」という行為をご存知だろうか。それは金属製のフックを直接皮膚に通して、身体そのものを吊るというものだ。現在は、世界の身体改造愛好家の間で実践されている行為であり、パフォーマンスであるが、古くは「サンダンス」と呼ばれるネイティブアメリカンの儀式に登場する、「ピアッシングの苦行」などが存在した。ミズーリ川上流の部族マンダン族によるものが代表的で、サンダンサーは鷲の爪を通し、バッファローの生皮で吊るされ、彼らの痛みは精霊への贈り物とされたという。

画像2

そのボディ・サスペンションを、1970年代に、現代美術・身体芸術の領域で先駆けて実践したのが、ステラーク(Stelarc, 1946-)である。彼は、《SUSPENSIONS》シリーズの中で、自らの身体を様々な形で吊るした。ギャラリーだけでなく、海の上で、またニューヨーク市街の上で吊るしたこともあった。*1

画像3

画像4

彼は、このサスペンションの行為の間の身体を「ゾンビボディ」と表現する。彼はこれを、呪術的行為、あるいは性的倒錯行為として捉えるのではなく、そこに現れる強烈な痛みによって立ち上がる、身体そのものとして捉える。その痛みによって主体を引き剥がされた身体こそ、無意識に動作するゾンビボディだったのである。

加速するテクノ・ゾンビ

しかし、このような特殊行為をみるまでもなく、我々の周囲には「ゾンビ」が溢れている。イノベーションが我々の生活水準を押し上げるものであるという認識は崩壊しつつある。ますます効率化を押し進めるテクノロジーは、我々を豊かにするのではなく、グローバル企業による搾取を最大化する。Amazonによる倉庫管理技術は、より少ない非専門的人員で運営を賄うことを可能にした。また、Uber Eatsは、アプリ一つで仕事をこなせるシステムであり、アルゴリズムの指示通りに動くことであらゆる市民がモビリティ化する。このような例には枚挙のいとまがないが、現代においてイノベーションとは、人々の身体を商品化し、システムの補綴に作り替える営為の加速化といっても良いだろう。

その一つのピークとして、私も昨年から業務を行なっている、"存在代行サービス"「Uber Existence」を考えることができよう。このサービスについては、私の以前の記事を参考にされたい。

***

アルゴリズムに操作される身体とは、まさしく作家の意思によって設計され、行動する自動人形のようでもある。しかし、金森修の『人形論』*2によれば、元々自動人形(オートマトン)とは、18世紀ごろからその脅威性によって教会が権威を示すために用いられたり、見世物として人々に驚きを与える工芸品として親しまれたものだったという。また、一部の技師による超絶技巧によって無機物に対して生気を吹き込むものとしても捉えられ、ヴォーカンソンによる《消化する鴨》は鴨の摂食、排泄という内部機構までも真似てみせた。デカルトが娘のように扱ったとされる人形「フランシーヌ」もまたこの文脈で語られることがある。

しかし、20世期のチェコの作家、カレル・チャペックによって書かれた戯曲『ロボット』(1920) では、新たな自動人形像が提示される。そこに登場する開発者老ロッスムは、いかに無機物に対して命を吹き込むかを追求していた。しかし、その甥ロッスムは、自然の模倣に意味はないと断じ、新たに単一の機能に特化した作業機械というコンセプトを打ち出した。それによって誕生したのが「ロボット」である。これは生物学的人形から工学的人形への転換であり、ロボットとは、設計者の観念・目的意識によって、人間の身体の象徴的に単純化された末の姿であると言えるだろう。

さらに、現代においてロボットは、合理化の末すでに人間の形を留めない。それどころか、各端末が同期し合うことで「個」を超越していく。それは『攻殻機動隊』に登場するタチコマか、あるいは、"2501"と同化し、ネットの海に旅立つ草薙素子のようでもある。しかし、この設計者とロボットの関係はそのまま、資本家と労働者、そして、アルゴリズムと人間の関係と相似形である。タチコマや素子のように縦横無尽にサイバースペース駆け回るというより、もはや、巨大なシステムに、気づかぬうちに操作されていく我々の意思や行動は、資本主義の運動を構成するパーツとして合理化されていくという方が想像に易い。

スクリーンショット 2021-02-11 16.50.38

そして、この資本主義的テクノロジーが、その内在するポジティブフィードバックによって我々の身体、そして地球環境をも加速度的に飲み込んでいく。加速主義者たちは、この黙示録的でカオティックなプロセスが、むしろ鬱屈した現状を突破すると考える。そのような世界において、ゲノム編集技術や機械との合一を経て、超人となっていくことによって、自由で主権ある個人というものを再定義しながら実現していくことに光明を見出そうとする。*3

我々は岐路に立たされている。このようなシステムから離脱(イグジット)し、新たな超人として自由を手に入れるか、あるいは、浅田彰が指摘したように、大いなるシステムに無思考に取り込まれる者 - エレクトロニックマザーの囁きに抱かれるナルシス*4 - となり果ててしまうのか。(続く)

後編こちら↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?