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自省録14 海外修業①
25歳の夏に片道のフライトチケットと大型トランク一つを持って、カナダ・トロントに飛んだ。現地の語学学校とホームステイ先だけを決めて、いつ帰国するとか決めていなかった。トロントには、知っている人は誰もおらず、飛行機の中でとても緊張していたのは今でも覚えている。
当時は携帯電話も持っておらず、GoogleMapも無かったので、空港からホームステイの場所にバスで行くのも相当苦労した。何回も違うバスに乗ったり、乗り過ごしたり。バスの運転手が何を言っているかも分からないし、
とにかく大変だった。トランクを引きながら、家を探して、ようやく見つけたけど、誰もいなくて家の外で2時間くらい待った。既に外は真っ暗。途方に暮れていた時に、僕より大きな体の黒人のおばちゃんが、遅れてごめん!らしき事を言いながら近寄ってきた。そう、彼女がホストマザーだった。あの時は、安心と同時にえっ。。と思った記憶がある。
当時の私は、カナダという国に対してちょっと違うイメージを持っていた。
トロントが移民を受け入れ、様々な国からきている人々で構成されているということを後で知ったが、ホストマザーはジャマイカン🇯🇲・カナディアンで、一人暮らしの看護婦であった。音楽と共に生活しており、朝から音楽をガンガンにかけながら、朝食やディナーを一緒に食べた。底抜けに明るく、よく大声で笑っていた。おばちゃん、まだ元気でやっているかな。
語学学校に行く生活が始まった。英語を勉強していない私は、一番下のクラスだった。思ったことも話せないし、言っていることも分からないし、でも友達ができ始めた。授業の後に一緒に遊んだり、食事に行ったり。半年くらいして、英語がわかるようになってきた。カレッジや大学の社会人コースに行き始めた。でもカナダ人に混じって授業を聞くと全く通用しないことがわかった。英語も問題であったが、そもそも日本語で知識のないマーケティング、経済、国際文化、経営などを理解するために、渡された分厚い教科書の予習・復習するために大学図書館に夜中まで勉強した。
同時に、勉強に意義を見いだせなかった高校時代と、勉強と研究に集中しなかった大学時代をとても後悔した。
こんな生活が1年くらいしてから授業もだいぶん分かるようになってきた。大学の講師は、米国コカ・コーラ本社のマーケティング部門責任者の経験があったり、大手米国企業のマネジメント経験があったりとビジネス界でもバリバリの経験がある方々で、理論と経験の両方を知ることができてとても面白かった。
気づけば、当初の目標〜帰りのフライトチケットを自分で買えるくらい英語を上達する〜をとっくにクリアしていた。
あと、半年だけ勉強してそれで帰ろうと思った一方で、カナダの日系企業から声がかかったことによって、カナダで就職するということも意識し始めて、完全に迷いが生じてしまっていた。
この時には、英語や専門科目を身につけただけでなく、ハングリー精神を手にいれ、アクティブ・ラーニングの姿勢という、ソフトスキルを身につけていた。これは25年経った今でも役立っている。ヤングな私は、無邪気によく頑張っていたなと改めて思った。
その後のことは、また後日書こう。