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私は図書館。夫は書店。

夫はKindleも含め、本を結構気軽に買う。
私は図書館利用をつらぬいていた。

なぜならひと月にだいたい50冊から100冊くらいは確実に借りているので、買うなんて絶対に無理ー!と思っていたのだ。
私が借りる書籍は画集も多いのですべてが読む本ではない。それに私が住んでいる町の図書館は一度に30冊借りることができるのでちょっと気になった本も手当たり次第借りることができる。

子供たちが小さかった頃の読み聞かせなどには紙芝居なども含め3人分、いや自分の分もあわせ120冊借りていたこともあった。

だから本を買うなんて考えもせず、
新聞でみた新刊も図書館で買っていただいたりして図書館をフル活用していた。

夫はそもそも仕事に関係した本も多かったのだが、
東京駅前にあるオアゾという書店をのぞくことが趣味のようになり、好きなドライブも兼ねて毎週末通うようになる。
息子や娘もよく同行していた。

夫は毎回本を買うわけではない。
棚にある本がどんなものがあるのか見るのが楽しみなのだそうだ。

その気持ちはよくわかる!と思った。
でも、
それでも、
私は図書館でいいのではないか
図書館の方が気軽に読みたい本に出会えるのに。
と思っていた。

今週もまた夫はオアゾに行くという。
私も一緒に行ってもいい?

書店のすぐ近くの路上パーキングに車をとめて、1時間という制限時間の中で本をみる。

あ。「ケア」だ。

「安全に狂う方法」だなんて気になるタイトルだなあ

私は最近「ケア」というキーワードが気になっている。世界的に今後ますます求められていく分野ではないかと思っている。

また、自分が幼い頃過ごした家族に悩まされた経験から「家族」というテーマもすごく興味があり、大人になってからつくりあげた自分の「家族」のことと共に、これからもずっと考えていきたいと感じている。

また、この写真に写っている書籍の「あらゆることは今起こる」という本を手にとって少し読んでみたところ、ADHDと診断された著書の話で、私がいままでずっと感じていたことがたくさん書かれていた。とても気になり、この本欲しいな、読みたいなと思い購入も考えたが、でもいまでも読みたい本をたくさん控えているし値段も気になり、またここで思ったのだった。
「図書館で借りよう」
いや図書館にあればの話なのだけど。

図書館にはあった。
しかも58人待ちであった。

!!58人!
また一つ世間を知ったという気がした。
こういう本が58人待ちなのか!

そして私自身がこの本と出会えたことは奇跡なんじゃないかということを考えた。
図書館ではいままでほとんど医療系の棚はのぞいたことがない。そもそも「ケア」という世界を、私は医療というよりは精神世界のように感じていた。
だから、「ケア」の本を探したい時私は医療系の棚を探しにいかないかもしれない。

そう考えたら図書館ではたぶん出会えなかったのではないだろうかと思え、
そして出会っても目に入らなかったかもしれない。
手にとらなかったかもしれない。

オアゾという書店で、
この見せ方で、
いまこの私の意識がこの本に興味を向けたこの瞬間だからこそ目に飛び込んできたのだ。

そう思ったら
図書館にしがみつくようにこだわってきた気持ちが芯から解かれた。

出会いたいものに出会いたい!

自分でも意識できないような気持ちの片隅にある「願望」に気づかせてくれることのありがたさとでもいうのだろうか。
自分の「知りたい」は実はなんだかわからないことも多く、日々つかめそうでつかめないもどかしさを感じている。それを目の前にみせて教えてくれる手段をより多く持っていることになんの不服があろうか。不服どころか宝でしかないのに、私は自分のケチな感情に支配されていたのだ。

図書館では得られない別の方法で私の意識に問いかけてくれる新刊書店の魅力をハッキリと意識した。
わあ。こうしちゃいられない!
私の「出会いたい本」をみつけなくては!きっとまだまだあるにちがいない!

違う階にいる夫からLINEがくる。
「ボクはもう(見)終わりました。」

「もうちょいみていい?」
すぐに返事を書いたらりょーかい!というスタンプがとんできた。

時間が限られている。広く浅く店内をめぐろう!

「日本の果物はすごい」ああ!私もずっとそう思っていた!この本にはどんなふうにそのすごさが書かれているのだろう?私が思っているすごさとはなんなのだろう?
むかあし読んだ「アルジャーノン」すごく感動した覚えがある。なぜあんなに感動したのだろう。そして今でもこんな平積みで置かれていて、たくさんの人を感動させているんだなあ。また読んでみたい。また感動してその訳を知りたい。
娘がオアゾに来るたびチェックしていたコーナー。現在の世界情勢のこと、その背景にある歴史、思想など古い本から新しい本までいろいろ置かれている場所なのだ。これを知りたいならここからおさえるとより理解が深まるよ!というメッセージを感じてワクワクするが、今更こんなに読めないよという絶望感も覚える。娘は若い。その若くてあふれる好奇心を胸に本を選びながらいつも迷っている彼女をここでみるたびに私はもう自分の娘としてではなく、一人の人間としての彼女の情熱に拍手を送りたい気持ちになるのだった。
いつものぞく「デザインについての本」が置かれている場所。「ルール?本」を見た時、以前21_21デザインサイトにて展示のあった「ルール展」を思い出した。観に行った時もいろいろ考えさせられたが、今も現在進行形である。というのもルールがあることで恩恵を感じることもあれば不愉快になることもあり、ルールをふりかざすことで自分の正義をつらぬき権力を誇示したいような欲求を感じることもある。そのわずらわしさをもっと考えてみたい。自分の不安につながっているかもしれないルールをみすごさず、より生きやすいものに変えることができないものか考えてみたい。


この後、東京駅から銀座にでてGINZA SIXに入っている蔦屋書店にも寄る。


ここは夫にはあまり興味のあるものはなかったらしく「疲れたー」と笑いながらソファに腰掛けていた。私はいつもこの書店では夢中になって見入ってしまう。

今回たまたま目に入ったのは
まず、カラヴァッジョの画集。

これは「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(1598年頃)という作品の一部が表紙になっている。「旧約聖書」の英雄的女性ベツリアが街を守るために将軍ホロフェルネスを殺すシーンである。この作品の全体をみるとその凄まじさとこの女性の可憐さのギャップに驚かされる。賭博、喧嘩、酒浸りの人気作家カラヴァッジョは激しい気性からのトラブルが絶えず35歳で殺傷事件を起こし逃亡中に死を遂げるが、作品の素晴らしさはまさに天才であり、何もかもに驚かされる画家である。この女性の可愛らしさがまた現代においても全く古びていないということにもなぜか感心してしまう。

そこから美術史的書籍に今日は妙に気持ちが傾く。
そんな本の中から、書籍としての「手にとってみたいデザイン」という視点で選んでみたい。

ジョージア・オキーフという人は彼女の人物そのものが絵になる人だとつくづく感じる。しかも、歳をとってからがいい。夫であった写真家スティーグリッツのモデルをしているうちにそういう魅力を自然に持つ人になっていったんだろうか。そんなふうにオキーフ自身が魅力的と思う人も多いのかもしれないが、彼女の作品以上に彼女の姿をとらえている書籍も多い。またオキーフの暮らしぶりもステキで、書籍の中で紹介されている住まいがステキだなあとよく思う。
大好きな画家、ピエール・ボナールの作品画集である。彼の作品には食卓の絵も多く、そのこともこの画家が好きな理由の一つになっている。この表紙の絵もまたすごく好きだなとほれぼれ見入ってしまった。
こんなにトリミングされているのにフェルメールの作品とわかるのは、くちびるの光のせいだろうかと思う。フェルメールはこんなふうに瞳やくちびる、アクセサリーなどにちょこっと光をいれて女性の艶かしい美しさを表現するのがうまいと思う。
ミッフィーとフェルメールの絵本。こんな絵本があるなんて!中が見えなかったのでどんな内容なんだろうと想像をめぐらせた。見てみたかったなあ!このシリーズはフェルメールだけしかないのだろうか。
エコール・ド・パリの1人であるシャイム・スーティン。リトアニア生まれのユダヤ人で絵の教育は受けていない。私はこの作家のことは最近まで知らなかったが見れば見るほど色の使い方や歪みが魅力的に感じてくる。作品全体を全面にだした表紙がまた良い。アメリカの大富豪でコレクターのアルバート・バーンズ博士がスーティンの作品をいたく気に入り、100枚買ったという。それがスーティン29歳の時でそれをきっかけにパリ画壇でも注文がひっきりなしになったという。その後6年ほどして制作をやめ、巨万の富で暮らすが49歳で病でなくなる。
ヘンリーダーガーの絵との出会いは衝撃的であった。当時東京外苑前にあるワタリウム美術館でたまたまやっていた展示をみた。一見かわいらしい少女たちの絵はカラフルであり幸せに満ちたものかと思いきや、よくみるとこれでもかという残虐なシーンも多々描かれた作品であった。19歳から描き出した「非現実の王国で」という創作作品は彼の死後、彼の部屋を掃除していた大家さんによって見つけ出される。ダーガーは今ではアウトサイダーアートの巨匠ともいわれている。
蔦屋書店でみた書籍の表紙には見たことのない作品があり、しかも残虐な絵で目を見張る。彼の作品は15,145ページあったというのだから、まだまだ知らない作品がたくさんあるであろう。この本はしっかりとパッケージングされていて中は見れなくて残念だった。

その書店書店で強みがあり、平積みにする本によっても出会いが変わってくると思う。だから気に入った本屋さんという場所を持っているのは幸せだ。
そしてやっぱり「本屋さん」という存在はこれからも残っていって欲しい!
ああ、それにはやはり購買という協力が不可欠なのである。そういう意味でも図書館の価値になにがなんでもとしがみつかず、
図書館にはない魅力という書店の醍醐味を
大いに楽しみ、共有しない手はない。
そしてまた、書店員の皆様の知識による品揃えと、見せ方に対する腕の見せ所も是非披露していただきたいところである。

ちなみに本日この冊子を購入した。
この冊子についていた書店員の方のコメントが購入の決めてであった。


東京駅八重洲口にあるサラベス東京店にて
夫と会食して本についても語り合った。

ごぼうのポタージュ。わあ!おいしーい!と感動!
揚げたごぼうの旨みがまた良い!
スモークサーモンエッグベネディクト。幸せー
バターミルククリームは全く甘みがなくメープルシロップで甘さを補う。


自分のことを知るのも楽しいが
家族の考えていることを共有するのもまた幸せのひとときである。

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