ソシュールについて
「構造主義」の起源として語られるのが、スイスの言語学者フェルナンデス・ド・ソシュール(1857―1913)です。ジュネーブ大学での彼の講義をもとに、学生たちが作成したノートを編集した『一般言語学講義』(1916年)がソシュールの死後に出版されたことによって、世界中に知られるようになった。というのは、20世紀の言語学は、すべてソシュールから出発したと言っていいほどに斬新な視覚を、この書物はそなえていたからでした。
船木亨氏は、ソシュールについて、次の説明しています。
言語の機能を知るには、その歴史は関係ないので、無視して、真の問題は、「言語に意味があるとはどういうことか」なのか、というわけです。
言語が物質世界と接点をもつのは、①言語が指し示す対象が、物質的な局面と、②言語が、物理的な音声によって成立している、という二つの局面がありえます。
ところが、①の場合、指し示す対象が、各国の言語によって異なっているので、世界の区切り方が違ってくるといえる。例えば、虹は、日本では7色というのが、常識なっているが、国によっては、3色という具合に各国でばらばらだったりしています。このような特徴をソシュールは、言語の「恣意性」と呼んでいる。
そして②の場合、言語が物理音から成立しているのは、当然のように思えるが、そう単純なことではない。日本語では、日本人が発音の苦手な、rとlの区別は問題にならないが、英語でこれをしなかったら別の意味になってしまいます。つまり、音そのものではなくて音のなかにある区別がなければ、言語は成立しないということになります。
この区別の仕方も言語によって違うので、恣意的である。このように言語には、区別しかないので、「言語は差異のシステムである」や「言語は対立のシステム」であると表現する。
音声の最小単位としての「音韻」は物理的音響ではなく逆に、語の意味が分かるかぎりにおいてしか捉えられない。各音韻は、他の音韻とどう違うかを知っていなければ聞き取れないのです。
歴史言語学の恣意性を批判して、言語の本質としての差異をふまえ、その通時態の、言語に内在的な変遷の法則性を見いだすべきだというのが、科学としての言語学めざしたソシュールの思想だ、と船木氏は述べる。