イギリス経験論について(バークリ)
今回も、勢力尚雅共著『経験論から言語哲学』から、バークリについて学びます。
ロックによれば、外的物体の一次性質(大きさと形)が、私たちの感覚を無視して単純観念を生み、この単純観念を素材として知性が一般観念をつくり、それに名をつけることで、思考や知識の拡大可能になるというものであった。
バークリは、ロックの経験論に、大きな影響を受けたが、このように「外的物体」自体を想定することには疑問を抱いた。というのは、「外的物体とは何かわからないし、外的物体から単純観念がどのようにして生まれるかもわからない」と思うからである。
バークリは、《精神の外側に存在されるとする物体なるものもまた、精神によって想像された観念(「想像の観念」)にすぎない。何かが存在するとは、感覚を通じて得られる観念(「感覚の観念」)を精神(知性)が知覚したり、「想像の観念」を精神(意志)が思い描いたり、変化させたりすることである》と考えた。
では、バークリは、精神をどのように考えたのでしょうか?
精神は、それ自体知覚できないので、観念と同じ意味で存在しているとは言えないが、様々な観念を知覚したり、想像したりすることはできる、とバークリは考えた。
では、精神は、どんな観念でも自由に知覚したり、想像したりすることができるのだろうか?
これについては、バークリは次のように述べている。
「感覚の観念は、想像の観念よりも強く、生気があり、判明である。同様に、前者は恒常性と秩序と整合性を有しており、人間の意志の結果である観念がしばしば乱雑とならずに規則正しいのは、ひとえに神の知恵と博愛があるからだ」とバークリは推理する。
こうした推理は、後にヒュームの批判の対象になる。
哲学史的には、バークリはイギリス経験論の代表するひとりと見なされ、ロックからヒュームに至る橋渡しをしたことに思想の意義があると語られている。
敬虔なキリスト教徒であるバークリは、ロックやヒュームのように、神の視点ではなく人間自身の側から世界を捉え直そうと試みた視点とはそもそも共有されていない、という下記のような意見もあった。
この意見を述べたのは、石川輝吉氏です。バークリ著『人知原理論』の世界観自体は共有しがたいものだが、哲学的態度には共感を覚えさせられ、バークリの、「不思議な魅力」と出会える一冊である、と石川氏は解説していました。
参考図書:
勢力尚雅共著『経験論から言語哲学へ』
竹田青嗣編『哲学書で読む 最強の哲学入門』
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