物語と時間
放送大学の教材の『現代フランス哲学に学ぶ』内で杉村靖彦氏が解説するポール・リクールについて学びます。
ポール・リクールという哲学者の名は、本書で初めて知りました。本書にはフーコーの解説も掲載されていますが、彼よりも一世代上の年長者です。
リクールの凄いところは、87歳になって大著『記憶・歴史・忘却』を2000年に刊行したということです。私のような77歳の老人には希望の星ともいえる人です。2005年に92歳で永眠されました。
介護界に属したことがあるものとしては、87歳という年齢の人は、書くどころか、話すこと、歩くことなどが不自由な人がほとんどでしたので、さらなる驚きを感じています。
リクールは、現象学、実存主義、構造主義などの同時代の思想の水先案内人としての信頼を得ていたが、いずれの思想に属することがないので、独自色の薄い折衷的な哲学者と見なされることもあった、と杉村氏は述べている。
構造主義以後、混沌とした思想状況にあって、リオタールのように「大きな物語の終焉」をポストモダンの後戻りできない歴史的条件とし、無数の小さな物語の散乱の中から思索を立ち上げていこうとする者たちがいた。
このような全体状況を俯瞰しながら、リクールは『時間と物語』、『他者としての自己自身』、そして先述した『記憶・歴史・忘却』を刊行した。
構造主義の先導した脱時間化から記憶や歴史の回帰へと時代の趨勢が移行する中で、リクールは『時間と物語』で強調したのは、時間性のアポリアとしての性格だった。
リクールは、時間の本体を探ろうとして、アリストテレス、アウグスティヌス、フッサール、ハイデガーなどを再読したが、解読不能として挫折した。竹田青嗣が言うには、時間の本体を探索するのは不可能だということである。
この挫折が、リクールの物語の出発点だ、と杉村は述べる。物語という営みは、時間性のアポリアに直面してこそ意味をもってくる。物語はこのアポリアへの「ポエティックな応答」であり、アポリアを解決できないが、アポリアを「生産的」にする。このようにリクールは主張している。
こうしたリクールの営みは、時間とは何かを説明しているわけではない。ただ時間とともに生起する事柄を筋立てて描写していくだけである。だが、物語によって筋立てによって、とらえようのない時間が物語として形象化されることによってわれわれが自己と世界を理解するための生きた図式になる、と杉村は述べる。
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