量子力学は10年前まで不完全な学問だったのか?(続)
昨日(2024年6月25日)投稿した量子力学は10年前までは不完全な学問だったのか?で記述のように、量子力学は、実在性については成立しないと結論づけている。
すると、実在はない、つまり客観はないとなるので、一般科学では、客観性を追求していることと相反する結論となり、量子力学は一般科学からは異端者ということになる。
だが、実際は、そういうこともなく、量子力学の理論を他の科学が受入れ、応用もしている。
一方、フッサール現象学も、「主観ー客観図式」のような客観(実在)は無いのだという思考の元に成立している。
対象(物質)の存在を判断停止して、内面に取り込む現象学的還元の方法を徹底しなければならないとフッサールは強調する。
というのは、現象学的な「純粋意識」の領域と心理学的な「心」の領域を混同されないためである。一般科学的な手法を用いる心理学は「主観ー客観図式」、つまり客観があることを前提にしているからである。
現象学的内省と心理学的内省(=内観)の違いを強調するのは、フッサールがブレンターノの「内観心理学」をへて自分の現象学的方法にたどり着いたからである、と竹田青嗣氏は主張する。
ちなみに、仏教の概念である「諸行無常」でも、世のすべては移り変わり、生成消滅してゆくものであるから、実体(実在性)はないものであると説いている。
過去の投稿記事(「時間」について)では、時間は飛び飛びに移動すると解釈している点でも量子力学と仏教は同じであることを記述したので、両者は親和性があるようです。