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意識について、取りとめもないことを書いてみました(続編)

2023/12/26付けで「意識について、取りとめもないことを書いてみました」という記事を投稿しましたが、今回は、佐藤康邦著『近代哲学の人間像』及び竹田青嗣、西研共著『はじめてのヘーゲル「精神現象学」』を参考にして、ヘーゲルが考えている意識について書いてみます。

『精神現象学』の主人公は、「意識」と呼ばれるものである。これが、ごく素朴な段階ーーーヘーゲル用語を用いれば「直接的意識」ーーーから様々の経験を経て成熟した段階、すなわち「学ぶ」にふさわしい段階ーーーヘーゲル用語を用いれば「絶対知」ーーーにまで達するというのが全体の筋立てなのである。

「意識」は、始めは個人の「意識」のようにも見えるが、やがて歴史を形成する類としての人間の「意識」へと拡大されていく。

佐藤康邦著『近代哲学の人間像』P161

「われわれの立場からは」、真の認識の学としての「精神現象学」は、素朴な「意識」がさまざまな素朴な知=経験のありようを経験しつつ、その本性にしたがって、徐々により本来的で真実の「知」と自己自身についての本質的な理解へと高まってゆき、ついにこれ以上は進めない最後の地平にいたるまでの、そのプロセスをくまなく描くという方法をとることになるだろう。

ヘーゲルが、「意識の経験」のプロセスにおいて現われる知を「それ(意識)にとっての」の知と「われわれにとっての知」に分けている。

前者がそれぞれの段階にある意識に内在する知であり、後者がそれを学問的立場から捉え返す立場に立って得られる知である。両者の間には葛藤やずれが生じる。

「意識」は常に挫折を経験せざるを得ないのであるが、それでもこの経験なしには知の内容を獲得できない。そして、ついに「意識の経験」の最終段階においては、両者は一致する。そこが「絶対知」と呼ばれる段階である。


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