ジル・ドゥルーズ著『ザッヘル=マゾッホ紹介』(19) 最終回 読書メモ
補遺Ⅰ
幼年期の記憶と小説についての考察
王妃 で あろ う が農婦であろうが、身にまとうのが白貂の毛皮であろうが羊革の外套であろうが、毛皮をまとって鞭を手にし、男を奴隷にするこの女はいつでも、私の創造物であると同時に真のサルマタイの女でもあるのだ・・・・。
おもうに芸術的創造物はどれも、ちょうとこのサルマタイの女が私の想像力のなかで生みだされたように、同じようなしかたで発展するものだ。
まず私たち各人の精神のうちには、ほかの多くの芸術家が取り逃がしてしまう主題をつかまえる、生得的な素質がある。
次いで、この素質に、生命の印象がつけくわわり、生きいきとした形象を作者に示すのだが、その原型はすでに作家の想像力のうちに具わっているものだ。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.149).
補遺Ⅱ
マゾッホの二通の契約書
レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホは、六カ月にわたりフォン・ピストール夫人の奴隷となり、その欲望と命令すべてを絶対的に実行することを名誉にかけて誓う。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.154).
補遺Ⅲ
ルートヴィヒ二世との情事
(ワンダの語るところによる)
11月 初旬( 1877年)、 夫 が 手紙 を 受け取っ た。(中略)
手紙はイシュルから投函されたものだったが、記憶ちがいでなければ別の場所、ザルツブルクの局留郵便の住所が書かれていた。
この手紙が、レオポルトの興奮と好奇心をおそろしいほど搔きたてた。手紙は『カインの遺産』の中編、「プラトンの愛」のことをほのめかしていた。
「プラトンの愛」は、女性嫌いの男性主人公と、「アナトール」という男性名をかたってかれに接近する女性との、精神的でプラトニックな関係をめぐる書簡体小説。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.158).
訳者(堀千晶)あとがき
マゾッホ の 作品 と、 かれ に 関連 する一連の作品(ワンダやシュリヒテグロルの著作)の翻訳が、再刊もふくめ、新たに刊行されつつあった1967年に出版された本書の特徴は、その異様なほど淡泊で、謹み深い題名にすでにあらわれている。
つまり、マゾヒズムについて多くの人々が語っているが、しかし、マゾッホの作品はあらためて紹介されねばならないほど、知られていない、かれの作品を忘却している既存の言説はほぼすべて的外れなものにすぎない、それゆえマゾッホを読まねばならない。
そしてマゾッホ読解の際に必要な作業こそが、マゾッホとマゾヒズムを、サドとサディズムから徹底的に分離するということであった。
いわゆる「サド=マゾヒズム」は、マゾッホへ向けられるまなざしを曇らせてしまう。
サディズムと口にしようものなら、その次にお決まりのペアとしてマゾヒズムが出てしまう状況が、本書では執拗ともいえるしかたで拒絶され(・・・・)、マゾッホとマゾヒズムの有する独自の権利、独自の兆候学的なまなざしが強調される。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.184).
たんなる 能動/ 受動、 加虐/ 被虐のような素朴なものには還元しえない、この苦痛の使用法の体制にちがいこそが、マゾッホとサドを切り分ける兆候学的な線にかかわってくる。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.185).
マゾヒズム は、暴力を蒙る側に身を置く者が、暴力を振るう側、暴力を正当化し合法化する側へといかに介入するか、そしてその暴力をいかに変質させるか、という戦略を思考するものである。
振るわれる暴力がめざしていた目的(たとえば相手を屈服させること)をいかに反転させるか、暴力の合法性の基礎じたいが茶番めいた嘲弄すべきものであることをいかにあらわにするか。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.186).
ドゥルーズ が、 本書 冒頭 で 真っ先 に、農民の蜂起や革命にふれ、幾度もその点を喚起しているのも、マゾヒズムを、作家個人のたんなる性的嗜好や、私的な関係にもとづく倒錯的な遊戯に押し込めることなく、歴史的、地理的、言語的な圏域のなかに位置づけるためだろう。
かくしてドゥルーズは、マゾッホとマゾヒズムを、世界的ー歴史的な倒錯となすのである。ドゥルーズの姿勢には、相応の変遷があるが、この点は晩年に至るまで、決してぶれることなく一貫している。
また、マイノリティと文学、抑圧された人民と言語という問題系についても同様であろう。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.193).