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「意識の謎」について

これまで、意識については「量子力学で生命の謎を解く」と「心ー意識ー認識ー言語」などを投稿しましたが、今回も意識がテーマです。

そもそも意識という言葉は仏教用語からきていました。

人の感覚器官または感覚能力(根)には、眼・耳・鼻・舌・身・意(こころ)と、その対象(境)には、色・声・香・味・触・法がある。

さらに、根と境の接触によって生じる識(認知)には、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識がある。

ということで、この意識は、仏教用語ということになります。

哲学では、ヘーゲルが『精神現象学』で「意識」を扱っています。この場合は、「意識」という主人公がいて、これが段階ごとに「自己意識」、「理性」、「精神」、「絶対知」へと駆け上がり、素朴な若者が、社会で揉まれていって、徐々に賢くなっていくという教養小説のような構成となっている。

脳科学者の茂木健一郎氏によれば、「30年ばかり、意識を研究しているが、私の知る範囲で意識の謎を解明した人は誰もいない」ということです。

意識は、数学、コンピュータプログラム、心理学、ネットワークサイエンス、情報理論、物理学、生物学というあらゆる分野の一級の科学者が関わっていても、解けないし、今後も解ける可能性は無いかも知れない、というのです。

それでも、自分の意識について細やかな理解やメタ認知ができることは、社会的成功や恋愛における成功などよりも、人生のおいて最も重要な幸せなことであると述べています。

茂木氏については、SNS上での社会的な発言には首をかしげることが多々あるが、こと脳科学の分野に関しては、信頼できるものと思っています。

今回は、茂木氏の著書からではなくて、心理学者でもあり、認知神経科学の第一人者であるマイケル・S・ガザニガの著書『〈わたし〉はどこにあるのか』に基づいて、「意識」を学ぶことにします。

茂木氏は、この本をどう評価しているのかは分かりませんが、読んでみると、かなり刺激的な内容でしたので、取り上げました。

現在の神経科学では、意識は総合的な単一のプロセスではないというのが定説だ。意識には幅広く分散した専門的なシステムと、分裂したプロセスが関わっており、そこから生成されたものをインタープリター・モジュールが大胆に統合しているのだ。意識は創発特性なのである。

マイケル・S・ガザニガ. 〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義 (p.122). 株式会社紀伊國屋書店. Kindle 版.

インタープリター・モジュールとは

インタープリター・モジュールとは、人間の左脳に入ってくるインプットを受けとり、「語り」(作り話し)を構築するメカニズムだと言うのです。

ヘビを見たとき、恐怖から、瞬間的に後ずさりすることがある。これは意識がそのような行動をさせたのではなく、無意識がそうさせている。脳が視床にある扁桃体を通じて、無意識という近道をとってくれるからだ。

意識にまかせていたら時間がかかり、咬まれてしまうので、意識を経由せずに無意識が発動するのである。

そのとき、どうして後ずさりしたかと問われると、ヘビが見えたからと後づけの情報で作り話しをする。それはインタープリター・モジュールというメカニズムが行っているというのです。

意識の遅れは、ある意味当然だ。指先で鼻に触れると、指と鼻に同時に感覚を覚える。脳と鼻、脳と指の間隔は(個人差はあるが)それぞれ8センチと1メートルと違いがある。すると脳に伝える信号速度は変わらないので、二種類の信号が脳に到達するのには差があるのだが、ほんのわずかなので、人間には意識できない。だから同時に到達したと錯覚する。

意識に時間差があるのは、昔から繰返し報告されていた。神経外科手術の最中、覚醒している患者の脳(手を担当する脳領域の部位)を刺激するという実験を行うと、患者が手に感覚を覚えるのに時間差(0.5秒)があった。つまり、これは、人間が行動を起こそうと意識決定する前に、すでに脳内では活動が始まっているということになる。

fMRI装置で精密に脳を観察した結果、ある傾向が生じるときは、それが意識にのぼる10秒前から脳にコード化されていることが分かった。

本人がある欲求を意識する前から、行動が無意識に始まっているのだとすると、意志の原因としての意識の役割はなくなり、行動を起こそうとする意識的な意志はただの幻想となる。

だがそれは思考の道筋として正しいのだろうか?

マイケル・S・ガザニガは、違うと言う。

神経科学における固い決定論者の言い分を、ガザニガは因果連鎖論法と呼んでいる。

因果連鎖論法とは

  1. 精神の成立を可能にしているのは脳であり、脳は物理的実体である。

  2. 物理的世界があらかじめ決定されている以上、脳も決定されていなければならない。

  3. 脳があらかじめ決定されており、なおかつ脳が精神を成立させるうえで必要として十分な器官であるならば、精神から生じる思考もまた決定されていると考えられる。

  4. したがって自由意志は幻想であり、自らの行動に責任を持つとはどういうことか、その意味を改めなくてはならない。

要するに自由意志の概念に意味はないということだ。スピノザが主張していることと同じというわけです。ガザニガによれば、1以外は、現代物理学、生物学者などの知見により否定されていると言う。決定論というのは創発という概念によって覆せられるというのです。

創発とは

創発とはミクロレベルの複雑系において、平衡からほど遠い状態(無作為の事象が増幅される)で、自己組織化(創造的かつ自然発生的な順応志向のふるまい)が行われた結果、それまで存在しなかった新しい性質を持つ構造が出現し、マクロレベルで新しい秩序が形成されることである。

創発は、物理学、生物学、化学、社会学、さらには美術でも認められている共通の現象だ。支配する法則のすべてで対称性を証明できないと、その物理系は自発的に破れているとされる。

対称性の破れという概念、すなわち創発はとても単純だ。集団になると、根底にある規則には含まれていない性質や傾向を自発的に獲得する。生物学での古典的な例は、ある種のアリやシロアリがつくる巨大な塚だ。こうした塚はアリのコロニーが一定サイズに達したときだけ出現するのだが(多は異なり)、小規模なコロニーでのアリ一匹一匹の行動をいくら調べても予測できない。

マイケル・S・ガザニガ. 〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義 (p.153). 株式会社紀伊國屋書店. Kindle 版.

ミクロの量子とマクロの宇宙とを統一する理論は現代物理学でも成立できていないのである。ミクロでの量子は予測不可能な動きをしていて、位置を決定するのは確率に依存することになる。(アインシュタインは、神様はサイコロはふらないと怒ったらしいが)

ある精神状態が出現したら、そこに下向きの因果関係は存在しているか?思考はその製造元である脳を制約することがあるのか?全体は部分を制約するのか?という難問がある。

この問題を考えるヒントは、遺伝学にあるかも知れないという。

遺伝学では、遺伝子の複製は単純な上向きの因果関係システムだと見なすのが一般的だった。遺伝子は糸に通したビーズのようなもので、それが染色体を構成する。

染色体は複製を行なって、自身のコピーを生成するというわけだ。しかし実際はそれほど単純ではなく、多様な事象が起こっていることがわかってきた。システム制御の専門家ハワード・パッティーは、遺伝子型と表現型の記述をコンストラクトにマッピングすることが、上向きと下向きの因果関係であると気づいた。

「遺伝子は、酵素をつくる部分の塩基配列を記述する必要があり、反対に酵素はその記述を読みとらなくてはならない・・・・単純に言えば、記号(コドン)で表現される部分は全体(酵素)の構成を制御しているが、全体は部分の識別(翻訳)と構成作業そのもの(タンパク質合成)を制御している。」ここでもパッティーは、「両方がお互いを捕捉している」として、上向きと下向きのどちらかがより重要かを決めたがる声に釘をさす。

マイケル・S・ガザニガ. 〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義 (p.167). 株式会社紀伊國屋書店. Kindle 版.

意識が認識する前に脳が活動しているからといって、それがどうしたというのかと、ガザニガは主張する。

意識は専用のタイムスケールを持つ独自の抽象作用であり、そのタイムスケールはあくまで意識にとって「いま」なのだ、というわけです。

実行された一連の行動は意志的な選択のように見えるが、実は相互に作用する複雑なそのとき選んだ、創発的な精神状態の結果なのだ、とガザニガは主張する。

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