ジル・ドゥルーズ& フェリックス・ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』 読書メモ(17)
10 1730年ーーー強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること・・・・②
・社会 や 国家 は 人間 を 分類 する ため に 動物 の 類別 的 特徴 を 必要 と し、 博物学 や 科学 にも、 動物 そのもの を分類するために類別的特徴が必要だ。
系列的思考や構造主義の場合でも、やはり類別的特徴をとりあげて、あるときは類似にもとづいてこれを段階づけ、またあるときは差異にもとづいてこれを秩序だてる。動物の類別的特徴は神話的にも、科学的にもなりうるのだ。
しかし、われわれはそのような特徴には興味がない。われわれは、普及、伝播、占拠、伝染、群生の様態に興味をもつのである。
・作家 が 魔術師 たり うる のは、 作家 が、 権利 上 の 責任 を 負う べき 唯一 の 個体群 として、 動物 を 生き て いる から だ。
ドイツ の 前 ロマン主義作家モーリッツは、死んでいく子牛に対して責任を感じているのではなく、子牛が死ぬ光景を前にして、その子牛が信じがたいほど明確な大自然の実感を伝えてくれるからこそ、自分の責任を痛感する。つまり情動である。
なぜかというと、情動とは個人的な感情ではなく、一個の独立した性格でもなく、群れの力能を実現することにほかならないからだ。
・群れ の 起源 は 家族 や 国家 の 起源 とは 似 ても 似つか ない。 家族 や 国家 とは 異なる 内容 の 形式 や 表現 の 形式 を 動員 しつつ、家族や国家をひそかに突き動かし、外からおびやかし続けるところにこそ、群れの起源が求められるからである。
群れは動物の現実でもあれば、人間が動物に〈なる〉という生成変化の現実でもある。伝染は動物の群生でもあれば、人間の動物的群生が伝播していくことでもある。
・戦争 機械 は 常に 国家 の 外部 に 位置 する。 たとえ 国家 によって 利用 さ れ、 横領 さ れ た として も、 戦争機械は国家の外部にあるのだ。戦士には、多様体、迅速、偏在、変容と裏切り、情動の力能を内に含む一貫した生成変化がある。
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