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哲学者永井均のキーワードについて

永井均という哲学者がX(旧Twitter)をほぼ毎日投稿しています。彼のプロフィールには、下記のように書かれています。

「私が何を言っているのか理解したい方は、まずは近年の主著である『世界の独在論的存在構造-哲学探究2』(春秋社)からお読みください。これら拙著における議論を前提にしたことを呟きますので、読まずにリプライ等をしないようにお願いします。」

「何を偉そうなこと書いているのじゃ」と反感をもちつつも、数年前に買って、四苦八苦しながら読みました。これ以外にも、十数冊購入して読んでいます。これでは、結果的には彼の手口にまんまとはまってしまったことになるのでしょうね。

それで今回は、『なぜ意識は実在しないのか』という刺激的なタイトルの本を手にして、note投稿のネタにしようとしたが、特に心にヒットするものがなくて、困っている状態です。

そのために、永井氏が様々な著作で述べていて、なるほどと納得したキーワードをピックアップします。

〈私〉

永井氏は、山括弧をつけた〈私〉について、次のように説明している。

私にとって驚くべき、すなわち哲学すべき主題は、まずは、なぜかこの私という説明不可 能な、例外的な存在者が現に存在してしまっている、という端的な驚きであり、次に、この 不思議さを構造上(私でない)他人と共有できてしまう、という二次的な不思議さであり (それはまた、にもかかわらず問題の意味そのものが理解できない人が頭脳明晰な人のなかにもか なりいるという意外性でもあり)、そして最後に、本質的に同じ問題が私の存在以外のこと (たとえば今の存在や現実の存在といった)にもあてはまる、という再度の驚きである。

『世界の独在論的存在構造-哲学探究2』P8

世界には多数の人間がいるが、その中でたった一人だけ、「痛み」を現実に感じられる存在が、この私であることを〈私〉と表現している。

内包、第 0次 内包 、第一 次 内包、第二 次 内包、無内包

ある 概念 が 適用 さ れる 対象 の 全体 を「 外延」 と 呼ぶ の に対し、 それら の 対象 が 共通 に 持つ 性質 を「 内包」 と 呼ぶ。「痛み」 という 概念 を 例 に とれ ば、 転ん で 膝 から 血 を 出し て 泣い て いる とき に 膝 に 感じ て いる 感覚、 という のが 痛み の 第一 次内包 で ある。

出発点 は ここ に ある。 その とき、 転ん だ その 人 が 感じ て いる 感覚 そのもの が、 痛み の 第 0次 内包 で ある。これは、 第一 次 内包 によって 概念 が 導入 さ れ た 後 に 起こる 逸脱 事例 を 処理 する ため に 必要 とさ れる。

転ん だ その 人 の 脳 で 起こって いる C 線維 の 興奮 といった よう な こと が 痛み の 第二 次 内包 で ある。これ は 第一 次 内包 を もと に し て 探究 さ れる が、 それが 発見 さ れ た 暁 には、 第二 次 内包 こそ が 本質 で ある と する 逆転 が 起こる こと も 多い。

これら は すべて 実在 的 な 内包 で ある。これに対して、転んだ その 人 が 私 で ある か 他人 で ある か という 違い が 存在 する。 私 で あれ ば 現実 に 痛く 感じ、 私 で なけれ ば 現実 には 痛く 感じ ない の だ から、 これ は 重大 な 違い だ とも いえる が、 この 種 の 差異 は じつは 実在 的 な 内包 の 違い では ない。

転ん だ 人 が 私 であっ た とき のみ 生じる 現実 の 痛 さは、 それ が ある のと ない のとは 極めて 重大 な 違い で ある にも かかわら ず、 そこ には 内包 的 な違い は ない ので、 これ を 痛み の 無 内包 の 現実性 と 呼ぶ こと に する。 この 段階 で 最も 重要 な こと は、 この 無 内包 と 先 ほどの 第0次 内包 とを 混同 し ない こと で ある。

タテ問題、ヨコ問題

タテ問題とは、内在 的 意識 が なぜ 超越 的 外界 を認識 できる のか、 物質 で ある 脳 が なぜ 意識 を 生み出せる のか、 過去( や 未来) が 存在 する と なぜ わかる のか、 といった 問題である。

ヨコ 問題 とは、 たくさん の 意識 が ある とさ れ て いる が、 本当に そう だ として も、 ほとんど は 現実 には 意識 でき ず、 一つだけ 例外 的 に 現実 に 意識 できる 意識 が 存在 する のは なぜ か( この 差異 は 何 が 作り出し て いる のか)、 といった 問題 や、 同じ こと だ が、 たくさん の 現在 が ある はず なのに、 ほとんど は 現実 には 現在 では なく、 一つ だけ 例外 的 に 現実 に 現在 で ある のは なぜ か( この 差異 は 何 が 作り出し て いる のか)、 といった 問題 で ある。




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