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「まじめ」について
「まじめ」についての「本質観取」が苫野一徳氏のVoicyから配信されていた。
苫野氏によれば、教育関係者から聞こえてくる声として、最近の生徒は「まじめ」な子が多いというのです。
尾崎豊の「卒業」という歌詞にもあるように、教室のガラスを割りまくるという生徒が多かった時代とは違っているわけです。
学校で使う「まじめ」の事例として以下のようなものを挙げていた。
従順でおとなしい。
門限を守る
高齢者に席をゆずる
校則を守る
先生や目上の人からのいいつけを守る
クラブ活動でストイックに練習する
期待に応える
等でした。
一方、「まじめ」になるのは、自分の本心からではなくて、要するに、トラブルを起こしたくないからとか、楽だからとかの理由もあるだろうという意見もあった。
校則を守るといっても、意味のないもの、妥当性を疑われるもの、理不尽なものもあり、ローカルなルールなのだということも言える。
これらの事例から、「まじめ」とは、自らが課した、そして所属集団から課されたルールーー望む、望まぬにかかわらずーーを守ることである、と結論づけていた。
我が高校時代を思いだすと、「お前は真面目だな」と言われると、女性と遊ばないヤツという意味になっていた。
修学旅行先の宿屋で、数人と同部屋になったときに、各人が女性と付き合っている自慢話しが始まり、それを聞いている様子を見て、「おまえも結局興味あるんだろうが」となった。
だから、「まじめ」という言葉には、嫌気がさしていた。
さらに、大人となりスナックに一人で飲みに行くと、「まじめね」と言われると、それは、黙っていて、喋らない人と言う意味になる。そんなときは「なんで、金払ってアンタを接待せなあかんのか」と内心で呟く嫌な奴となります。
仕事上での「まじめ」さは、
納期を守る
約束を破らない
定時に出勤する
上司の指示に従う
ウソをつかない
いい加減でなく、真剣にとりくむ
などがあった。
「まじめ」であることは、かなりシンドイしキツイことではあったが、活動的であり、生きていたということになりますかね。