竹田青嗣著『欲望』第Ⅰ巻「意味」の原理論を読む(3)
第一部 存在と認識
第一章 哲学の問い
第二節 哲学的始元論
五 哲学の謎
ギリシャ哲学において特徴的なのは、固有のかつ本質的な哲学の謎、すなわち、「存在の謎」 「認識の謎」 「言語の謎」が現われる点である、と竹田は言う。
この概念が普遍的な展開を持続するのは、インド哲学、中国哲学には見られず、ギリシャ哲学においてとなる。
六 ギリシャ哲学の始元論
ギリシャ哲学は、世界の根本起源や創成論あるいはその意義づけから始発せず、存在原理の始元論から出発したことは、哲学的思考にとって優位となる、と述べる。
ただし、書き残されたテクストが少ないがために、ギリシャ哲学の始発となった哲学者たちの諸原理説にはさまざまな解釈が加えられている。
アナクシマンドロスにはつぎのテキストののこされている。
ヘーゲルは、アナクシマンドロスの「無限なもの」の概念がタレス的な個別的基礎要素を超えている点を評価する。
七 存在論的思考
アナクシマンドロスの同じテクストを、ハイデガーは、ギリシャにおける存在論的思索の決定的始発点とする独自の解釈を提示する。
ハイデガーが、アナクシマンドロス、ヘラクレイトス、パルメニデスという前ソクラテス哲学の系譜に、自らの存在論的哲学の思索の萌芽あるいは起源を読み取ろうとしていることはよく知られている。
竹田は、次のように述べている。
あらゆる「存在者」を可能にする根源的、究極的存在者の観念も、また、存在者の存在総体をその始元的原理から始発した全体へと思い描く思考の方式も、古代哲学において典型的に見出され、それぞれが独自の展開をとげる。
しかし、およそ存在するものの究極的根拠を、神的存在あるいは超越的存在としてではなく、「存在すること」それ自体という観念において思考する観念、すなわち「存在」自体を一つの根本的な疑義におく思考は、個々の生の実存的自覚の強度によってはじめて媒介される。
それがゆえにそれが、古代的思考のうちに、世界認識の普遍性を重要なテーマとしたプラトンやアリストテレス以前にすでに存在したと強弁するには、高度の弁証的技巧を必要とする、ということです。
八 自由な思考の運動
自由な思考とは、思考が絶対精神の本質たる無限性の運動に即して進み、その普遍性へ接近する必然的な運動として示される。
哲学的思考は、合理的思考の展開の自由を完全に与えられるなら、規定のあるいは暗黙の世界観的前提を徐々に取り払ってゆき、世界の存在と様態についての可能な対立の運動を推し進めて、世界概念から一切の「超越項」を剥奪してゆくように進む、と言う。