ヒュームによる「因果性に対する懐疑論」について
寝そびれてしまい、明け方になってようやく寝付いたので、頭がぼやけていて、まったく働いていないため、カツを入れる意味でnoteを開いてみた。
こんな状態で、ヒュームによる「因果性に対する懐疑論」のことを書こうとしています。
大丈夫かいなという疑問を抱きつつ、書き進めているうちに調子が上がってくることを期待しているのです。
さて、われわれは、仏教の因果による縁起という概念を取り出すまでもなく、世界は原因と結果によって成り立っていることを直感的に理解しています。
だが、ヒュームはこの説に意義を唱えているのです。
ヒュームは、因果関係が連結していると思うのは、生活している中で、同じ状況を何度も見てきたことによりそれが習慣的な信念となったためだと説明している。
因果律というのは過去の経験からの演繹であり、これから起こる未来のことについては、これを無視するような結果を予測しても、論理的には矛盾していないというわけです。
かなりの屁理屈ではあるが、主張していることに論理的な破綻はないように思えます。
とはいえ因果律の必然性が否定されるならば、自然は不安定となり、自然法則がコロコロ変化してもよさそうです。
ところが、そうはなっていない。自然は安定しています。(最近では異常気象により、これまでにない災害が全世界レベルで発生していますが)
このことに関して、メイヤスー著『有限性の後で』の訳者千葉雅也氏は、下記のように説明しています。
『有限性の後で』で、メイヤスーは、サイコロ振るなどの地球レベルでの確率を宇宙レベルで運用することをーー数学理論であるカント―ルの無限集合論を採用してーー否定している。
メイヤスーは仮説としてカント―ルの無限集合論を採用しているだけで、絶対的偶然性の条件として提示しているわけではなく、あくまで示唆するに留めている、と千葉氏は指摘する。
ということで、ヒュームからメイヤスーへとジャンプしてしまいました。
ようやく、眠気が取れました。
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