「超自我」について
「超自我」は、去勢勢力としての父親によって子どもの頃からの命令やしつけを受け続けてきたことによって形成されるものである、というフロイトの仮説である。
超自我は自我に対してサディズム(攻撃性)の力を振るう。この攻撃性は、超自我に潜む死の欲動が生の欲動から解離して独立的に振る舞うことに由来する。
この超自我仮説は検証されえないが、われわれは、フロイトが超自我と呼ぶものについては思い当たる。
われ欲すを超えて私に力をおよぼす「ねばならぬ」の強制力をもたらすものを、日常的な心的生活において誰もが経験しているからである。
こうした日常的な経験をいったん遮断し、現前意識に定位する内的洞察によって検証する、と竹田青嗣氏は述べる。
心的不安に対する対処法は、外的な危険や不都合への対処の場合と同じである。原因を特定しその原因を除去するための方法を探しだして、それに基づいて実行するのである。
日常的な対応の手段が失われるならば、能力がないものと見なされ、さらに大きな不安と無力感に苛まれる。
深層心理学はこうした心性の定常性からの逸脱を、強迫神経症、不安神経症、メランコリーなどの言葉で呼ぶ。
しかしこういった事態は、病と呼ばれる以前に、理由の明確でない不安、恐れ、自責感、罪障感などとして、また何らかの行為をうながす強い責務、当為の感覚として日常的にも現象する。
これら、その由来が明瞭ではなく、それゆえ除去の適切な方法が見出せず、何か自立的な力としてわれわれを規定し、拘束する力として現われるとき、フロイトはその根本的原因としてそれを「超自我」の名で呼ぶのである。
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