客観的な諸事物について 7 実熊 秀史 2024年10月18日 20:33 客観的な諸事物とは何なのでしょうか?『現代哲学の挑戦』で、船木亨氏は次のように説明しています。ベルクソンは、『物質と記憶』(1896年)においてすべてはイマージュ(イメージ)であると述べます。知覚ばかりではなく、観念や記憶や想像や妄想や夢や幻覚もすべて同じようにイマージュであって、それらが区別されるのは別の理由からなのです。 なぜ「現象」と呼ばないかというと、それは現象が「現れるも の」として背後に実在を想定させるからですが、人間の知覚においてすら、客観的世界の諸事物の現れではないからです。むしろ近代初頭にモンテーニュが述べたように、すべては感覚器官を通じて捉えられます。 世界の諸現象は身体のうえで生じているだけで、何を対象とするかは、行動の目標や障害に連関してしか現れてきません。すべての生物の感覚器官が異なっており、それぞれに環境を知覚しているのですから、人間の環境としての「世界」も、実在のありのままの姿ではなく、 人間という生物にとっての環境にすぎません。 すべての意識ある動物が、自分の行動に相関してのみ対象を捉えるのであるとすれば、世界とは、人間意識の可能な行動の総体、逆光学(眼の方から対象を映しだすような光学) 的な人間の身体像のことなのです。P144~P145釈迦も、客観的な物質の実在はなく、すべては感覚器官によって捉えられた像にすぎないのだ、と説いていることと類似していることに親近性を感じます。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #哲学 #雑感 #ベルクソン #船木亨 7