ジル・ドゥルーズ& フェリックス・ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』 読書メモ(22)
12 1227年ーー遊牧論あるいは戦争機械③
・王道 科学 は、 質料 を 組織 する 形相 と、 形相 の ため に 準備 さ れ た 質料 を 同時に 含む「 質料-形相」 的 モデル と 切り離せ ない関係 に ある。 この 図式 が、 技術 または 生活 から 派生 し た もの で ある よりも、 支配 者-被 支配 者、 さらに 知的 労働者-肉体労働 者 に 分割 さ れ た 社会 に 由来 する こと は しばしば 指摘 さ れ て き た。
・もはや 国家 の 外部 に 勢力 を もっ た 組織 や 奇矯 な 徒党 集団 など 問題外 で あっ て、国家 は、 自然 状態 に 追いやら れ た 反抗的 臣下 と、 みずから 国家 形式 に 帰順 し て 合意 する 臣下 とを 分割 する 唯一 の 原理 に なる。
・カント は 能力 の 悪用 を 絶えず 批判 し た の だ が、 それ も 能力 の 機能 をより 祝福 する ため で あっ た。 哲学者が カント の 時代 から 公 の 教授 すなわち 国家公務員 に なっ た こと は 驚く に あたら ない。 思考 も 国家 形式 に 普遍性 を 与える という 条件 で、 国家 形式 が 思考 像 を 思考 に 吹き込ん だ とたん すべて が 決定 さ れる。
・思考 学 は、 イデオロギー と 混同 さ れ ては なら ないので あっ て、 まさしく さまざま な 思考 の 像 と それら の 歴史 性 の 研究 なので ある。 こんな こと は たいして 重要 では ない、 思考 の 重厚 さなど 冗談 に すぎ ない、 とある 意味 では 言う こと が できる かも しれ ない。
しかし、 それ こそ 思考 の 思うつぼ であっ て、 思考 は 真剣 に 受け取ら れる こと を 望ん で い ない ので ある。 なぜなら、 そう で あれ ば ある だけ、 思考 は 私 たち の 代わり に 思考 する こと が でき、 新しい 思考 の 公務員 を 常に 産み 出す こと が できる から だ。
さらに また、 人々 が 思考 を 真剣 に考える こと が なけれ ば ない だけ、 人々 は 国家 の 欲する こと に 順応 し て 思考 する から だ。 実際、 政治家 は 誰 でも、 取る に 足ら ない が 不可能 でも ある 一つ の こと、 すなわち 思想家 で ある こと を 夢見 て き た のでは ある まい か?
・しかし 思考 の 外部 性 形式、 すなわち 常に それ 自体 の 外部 に ある 力、 あるいは 最新 の 力、n 乗 さ れ た 力 とは、 国家 装置 から 吹き込ま れ た 思考 像 に 対立 する もう 一つ の 思考像 では ない ので ある。
反対 に、 それ は、 像 と その 模写、 モデル と その 再生 の 両者 を 破壊 する もの、 すなわち 思考 を 真理 と 正義 と 法 の モデル( デカルト 的 真理、 カント 的 正義、 ヘーゲル 的 法 など) に 従属 さ せる あらゆる 可能性 を 破壊 する ものなのだ。
・「 普遍的 方法」 の 指揮 下 で〈 存在〉 と〈 主体〉 という 二重 の 観点 から、 条里 化 さ れ た 心的 空間 に あらゆる 種類 の 実在 と 真理 が 位置づけ られる のである。
と すれ ば、 その よう な 思考 像 を 拒絶 し て 別 な やり方 で 思考 しよ う と する 遊牧 的 思考 を 特徴 づける のは容易 で あろ う。
つまり 遊牧 的 思考 は、 普遍的 思考 主体 を 要請 する 代わり に 特異 な 人種 を 要請 する ので あり、 また、 包括的 全体 性 に 根拠 を 置く 代わり に 草原、 砂漠、 海 といった 平滑 空間 として の 地平 なき 環境 に 展開 する ので ある。
・あたかも 創造 の 努力 や 試み は その つど それ 自身 が 陥り かね ない おぞまし さに 直面 する よう に 思わ れる ので ある。
というのも、 人種 という 主題 が、 包括的 な 支配 を 目指す 人種差別 や ファシズム に、 あるいはもっと 単純 に 貴族主義 や 党派 主義 や 復古主義 といった ミクロ・ファシズム に 転化 し ない よう に する には どう し たら いい のか?
東洋 という 極 が 妄想 に 変質 し、 別 の ファシズム の あらゆる 形態 を、 そして ヨガ や 禅 や 空手 などの あらゆる 気 なぐさみを再活性化することを妨げるにはどうしたらいいのか?
・人種 は 自分 の 起源 として 見つけ出す べき もの では ない し、 東洋 は 模倣 す べき もの では ない。東洋は平滑空間を構築することによってしか存在しないし、人種は、平滑空間を満たし 横断 する 部族 を 構成 する こと によって しか 存在 し ない の だ。 およそ 思考 という もの は、〈 主体〉 の 属性 と〈 全体〉 の 表象 では なく、 生成 変化 で あり、 しかも 二重 の 生成 変化 なので ある。