『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫著ーーーすでに資本主義は終わっているのか?
リーマンショックの金融機関の崩壊以来、薄々ながら、資本主義は、終わるのではないかという恐れを、抱いていたが、経済学者水野和夫氏によれば、終わっているということである。ただし、資本主義の次のシステムをどのように構築すべきかについての良いプランは無いようです。
では、そもそも資本主義の始まりはいつかについて、水野氏は、「12~13世紀説、15~16世紀説、18世紀説等があるが、12~13世紀のイタリア・フィレンツェに資本主義の萌芽を認めることに説得力を感じている」と述べています。
というのは、この時期には、資本主義の勃興期を象徴する二つの出来事があったからだというわけです。
その二つとは、以下のことです。
「利子」が事実上、容認されるようになったことです。利子を取るという行為は、神の所有物である「時間」を、人間が奪い取ることにほかならないからです。
12世紀にイタリアのボローニャ大学が、神聖ローマ皇帝から大学として認められたことです。中世では「知」も神の所有物でしたが、ボローニャ大学の公認は、広く知識を普及することを意味した。いわば「知」を神から人間に移転させる端緒が、ボローニャ大学の公認だったからです。
「時間」と「知」の所有の交代劇は、「長い16世紀」に「海賊資本主義」と「出版資本主義」という形で結実した、ということです。
資本主義は、その時代時代に応じて、次のように中味は異なる。
資本主義が勃興する時代には重商主義でした。
自国の工業力が他国を圧倒するようになると、自由貿易を主張する。
他国が経済的に追随して自国を脅かすようになると植民地主義となる。
IT技術と金融自由化が行き渡るとグローバリゼーションを推進した。
しかしながら、「中心/周辺」もしくは「中心/地方」という分割のもとで、富を中央に集中させる「蒐集」というシステムであるという点では共通している、と述べています。
グローバリゼーションによって、先進国が独占してきた富を、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)などの新興国や資源国が取り戻そうとしているかに思える。
しかしながら、資本主義と結びついたグローバリゼーションは、必ずや別の「周辺」を生み出してきた。
全てにグローバリゼーションが進んでいくと、国家の内側にある社会の均質性を消滅、つまり、中間層を壊滅させてきた。
資本主義は資本が自己増殖するシステムですから、利潤を求めて新たなる「周辺」を生み出そうとしますが、現代の先進国には、「周辺」はない。
そこで資本は、国内に無理やり「周辺」をつくり出し、利潤を確保しようとしている。その象徴的な例として、アメリカのサブプライム・ローンと、日本の労働規制の緩和がある。
こうして暴走する資本主義に対してブレーキ役を果たすアダム・スミス、カール・マルクス、ジョン・メイナード・ケインズのような経済学者や思想家がいたので、曲がりなりにも、資本主義が存続してきたが、効果が薄れてきた。
代わって、あらゆるブレーキを外そうと主張したミルトン・フリードマンやフリードリヒ・ハイエクらが旗印となった新自由主義であるが、現在の経済危機の様子を見ていると、これも破綻しているとしか思えない。
資本主義の効率性を測る尺度として、資本の利潤率があったが、どの実物資産に投資してもリターンは見込めないないことから、代わって株価が尺度として登場し、その主戦場は「電子・金融空間」となった。
その結果、3年に一度バブルが起きるようになり、バブルは必ず弾けるので、その時点で投資はいったん清算される、「一度限りのバブル清算型の資本主義」へと大きく退化した。
こうした資本主義は、利益は少数の資本家に還元されるが、バブルが弾けると、公的資金の注入などの救済による費用は税負担というかたちで広く国民に及ぼしてきた。どこまでも、資本家は国民から搾取を続けるようです。
水野氏は、ポスト資本主義を明確に描くことはできないと断りを述べつつ、日本がすでに、90年代の後半にバブルが弾けて以後、世界に先駆けてゼロ成長、ゼロ金利、ゼロインフレという「定常状態」に突入したが、ここに日本のアドバンテージがある、と主張しています。
日本は利子率が世界でもっとも低く、長期にわたって超低金利の時代が続いています。利子率がもっとも低いということは、資本がもっとも過剰にあることと同様である、というわけです。
もはや投資をしても、それに見合うだけのリターンを得ることができないという意味では、資本主義の成熟した姿が日本だという考えることもできるのです。
資本家側から見れば、「日本スゴイ!」ということになりますが、一方、多くの世帯が金融資産をまったくもたないという状況にあるという現実に、目を向ける必要があります。
「長い16世紀」はそれを契機として、政治・経済・社会体制が大転換を遂げたように、この21世紀においても、近代資本主義、主権国家システムはいずれ別のシステムへと転換せざるをえなくなります。
しかし、それがどのようなものかを人類はいまだ見出せていません。そうである以上、資本主義とも主権国家ともしばらくつきあっていきながら、現在の横暴なクローバル資本主義にブレーキをかけて、ソフトランディングを目指すしかないようです。
水野氏がイメージしている定常化社会、ゼロ成長社会は、貧困化社会とは異なり、拡大再生産のために禁欲し、余剰をストックし続けない社会のことを言っている。
資本の蓄積と増殖のための強欲な資本主義を手放すことによって、人々の豊かさを取り戻すプロセスでもある、というわけです。
仏教修行者のごとく、全ての欲望を持たない人物になれとは、言わないまでも、せめて自己の強欲さに気づき、それを縮小する志向性をもった資本家が増えることを望みたいものです。