【読書】肩をすくめるアトラス

「肩をすくめるアトラス」全3巻を読みました。アメリカを知りたければ本書を読め、と言われるアメリカ随一の教養小説だそうです。自由競争と利益追求を正義とする産業家たちの闘争の物語。アメリカ流資本主義社会の一つの極限が描かれています。

気軽な読書には向きませんが、多くの謎や伏線が回収されていく展開はミステリー小説を読むように楽しめます。

本の概要

本書では、アメリカ人の思想の根底にある個人主義や競争志向といった価値観が物語を通して強烈に、毒々しくさえ描かれています。また、本書が発行された1957年は、アメリカとソ連が世界を二分する争いの真っ只中であったこともあり、共産主義的な思想・制度を悪と断罪する当時の雰囲気も加わっているのかなと推測します。

文庫本裏表紙の説明が端的にカッコよく決まっているので紹介します。

利他主義の欺瞞を喝破し、二十世紀アメリカの進路を変えた資本主義の聖典。
アメリカの「保守の女神」アイン・ランドによる二十世紀資本主義の最後の弁明。

本の詳細

物語は、主人公でアメリカ大陸横断鉄道の副社長を務めるダグニー・タッガートの視点で、二つの勢力によって社会が真っ二つに分断され、経済危機と機能不全を起こし、遂には社会が破滅的な崩壊を迎えるまでが描かれています。

二つの勢力は、経済観・人生観を異にする人たちです。一方は自由競争を旨とする産業家たちで、自分が他者よりも優れている能力を発揮して、新たな価値を生み出す人たちです。もう一方は政府介入を是とする人たちで、競争による格差拡大や地位喪失を嫌い、規制・税制によって産業家の生み出した価値を配分しようとします。

著者が支持するのはもちろん前者の人たちで、そのため後者の人たちはこてんぱんにけなし倒されます。後者は愚鈍で姑息な人間として描かれ、産業家を搾取する「たかり屋」と称されています。

第一部:矛盾律(550ページ)
ダグニーは大陸横断鉄道の新規レール建設を指揮しており、鉄鋼屋のハンク・リアーデンとタッグを組むことを決める。リアーデンは叩き上げの産業家で、事業拡大と利益追求のために心血を注ぐ鋭利なビジネスマンであった。似た経済観を持つ二人は互いに共鳴し、レール建設に邁進する。他にもコロラド州で油田開発を手がける野生的な経営者のエリス・ワイアットなど、野心溢れるビジネスパートナーたちと共に仕事に充実を得る。そんな最中、たかり屋たちの共謀により「共食い防止協定」「機会均等化法案」「公正分配法」といった法案が次々と成立し、自由な経済活動が阻害されていく。社会の分断が進み行く中、有力な産業家の最初の一人が失踪する。

第二部:二者択一(594ページ)
社会の分断がさらに進み、一人また一人と産業家たちが謎の失踪を遂げていく。不気味な経済危機の影が忍び寄る中、大陸横断鉄道の経営も軋み始める。ダグニーはなんとか会社を立て直そうと一人もがくが、その最中、彼女の大事なビジネスパートナーまでもが姿をくらまそうとし、それを阻止すべく彼女も飛行機を操縦して単身追いかけるのだが・・・

第三部:AはAである(768ページ)
次々と消えていった産業家たちの現在と哲学が明らかになり、彼らとたかり屋世界の最終対決、そしてアメリカを襲った破滅的な経済危機の結末が描かれる。「世界じゅうの光を消さなければならない、ニューヨークの光が消えるとき、仕事が終わったとわかるだろう」

中立的に、批判的に読みたいと努めたが、やはり著者の推す産業家たちの言葉が圧倒的な力を持って押し寄せてくる。産業家たちの哲学とはいったい何か。彼らの発する言葉の中に表れている。

ダグニー、僕は紋章に敬礼しつづける。高貴さの象徴を崇拝しつづける。僕は貴族になるはずじゃなかったのか?ただ僕にとっちゃ虫食いの塔もすりきれたユニコーンもクソクラエなんだ。僕らの時代の紋章は、ビルボードや大衆雑誌の中にある(中略)商標だよ

『肩をすくめるアトラス 第一部 矛盾律』 P154
私は自分の利益のためだけに働く。(中略)これが悪いことだというなら、きみたちの基準に従って、私を好きなように始末しなさい。これは私の基準だ。私は、すべて正直な人間がそうあるべく自分で生計を立てている。自分が生きているという事実と、自分の生活を支えるために働かなければならないという事実を罪として受け入れることを私は拒否する。そうして働くことができる、人よりうまくできるという事実を罪として受け入れることを、私は拒否する。自分がたいていの人間よりもそれをうまくできるという事実ーーー私の仕事に隣人の仕事よりも高い価値があり、より大勢の人間が私にすすんで代金を払おうとするという事実を罪として受け入れることを私は拒否する。おのれの能力と、成功と、財産について詫びるということを私は拒否する。

『肩をすくめるアトラス 第二部 二者択一』 P243
(たかり屋を否定する文脈で)諸君が因果律にそむくとき、動機となるのは因果律からまぬがれようとするよりたちの悪い、因果律を逆転させようとするずるい願望である。諸君は値しない愛を求める。あたかも結果たる愛が原因たる個人の価値を高めうるかのように。諸君は値しない賞賛を求める。あたかも結果たる賞賛が原因たる美徳を与えうるかのように。諸君は値しない富を求める。あたかも結果たる富が原因たる能力をもたらしうるかのように。諸君は慈悲を、正義ではなく慈悲を請い求める。あたかも値しない許しが弁解の理由を払拭できるかのように。

『肩をすくめるアトラス 第三部 AはAである』 P550

あかんで、かっこ良すぎる。

アメリカ社会について

本書に登場する二つの勢力(産業家とたかり屋)に符合するような社会構造は実際にはないかと思います。保守とリベラルに重ねるのが近い気もしますが、保守と言っても移民排斥を唱える人たちはたかり屋同然ですし、リベラルと言ってもグローバル化やそれに伴う国境を超えた自由競争を望む人たちは産業家と同じ哲学を有しています。

つまり、保守派の女神と称えられた著者ですが、その伝える言葉は右や左、支持政党を問わず広くアメリカ人の胸に刻まれた「建国の精神」なのだと思います。自由と平等のもとに、機会が開け、競争が芽生え、幸福を追求できる。だから冒頭に記したように、「アメリカを知りたければ本書を読め」と評されるのだと思います。

ただ、前述した移民排斥の気運など、アメリカの誇る建国の精神が失われつつあるのが僕らの生きる現代なのかもしれません。橘玲氏は『上級国民/下級国民』で、私たちが暮らす「後期近代」のとてつもなく豊かな世界が、知識社会化・リベラル化・グローバル化の三位一体の巨大な潮流を生み出し、このとてつもない変化に適応できない人たちがアンチリベラルなポピュリズムに流れる、という風潮が先進諸国で発生していると指摘しています。本書に登場するたかり屋に少し似ている気がしますね。

ちなみに、2020年大統領中間選挙における民主党有力候補のサンダース氏は
・富裕層への増税
・国民皆保険
・ホームレスへの住宅提供事業に3兆円
など、ラグネル・ダナショールド(登場人物)が卒倒しそうな施策を打ち出しています。

日本について

さて、もし日本が題材だとどんな価値観が描かれて、どんな物語になるのでしょうか?

日本人の思考の根底には「共同体志向」があるのではないかなと思います。神社を中心に共同体を築いてきた古代からの歴史的な営み、よく言われる横並びを好む国民性、大きな災害時に「つながろう」というスローガンが溢れる心理、Facebookよりもコミュニティ色の強いLINEを好むところ、電車内では静かにするなど色んなマナーが徹底されている点などなど。

ただ、共同体志向を前面に出すのは日本人的にもちょっとネガティブな印象を受けるので、「共同体志向=滅私=義」と変換して、武士道的な内容になりそう。それを物語にすると『壬生義士伝』とか?

個人的には、武者小路実篤の『真理先生』なんかが選ばれるとすごく嬉しい。

いずれにしろ『肩をすくめるアトラス』とは全く違う内容でしょうね。こんな文章、日本人からは絶対に出てこない。

人類にとって幸いなことに、史上で唯一初めて、お金の国が登場したーーーこのことによって道理、正義、自由、生産、業績の国たるアメリカにこれ以上高く敬虔な賛辞を僕は捧げられない。はじめて人間の精神とお金は解放され、征服による財産がなくなって仕事による財産だけになり、剣客と奴隷の変わりに正真正銘の富の製造者であり、最高の労働者であり、もっとも高尚な種類の人間ーーー独立独行の男ーーーアメリカの実業家が出現したのです。
アメリカ人が何にもまして誇るべき特長をあげるとすれば、僕はーーーなぜといえばそれはほかのすべてを含むものだからーーー彼らが『お金を作る』という文句を造った民族だったという事実を選ぶことでしょう。それ以前、この言葉をかくのごとく使った言葉や国家はありませんでした。人は常に富を一定量のものと考えてきたーーー押収し、請い、相続し、分配し、たかり、厚意として手に入れるものとして。アメリカ人は、富が創出されなければならないということを最初に理解したのです。『お金を作る』という言葉は人間道徳の本質をとらえている。

『肩をすくめるアトラス 第二部 二者択一』 P132



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