「女ざかり」を読んで
先日、父の実家に2泊3日で片付けに行ったのだけれど、うっかり読む本を持っていくのを忘れてしまった。田舎の一軒家なのでネット接続もあまり良くなく、テレビもリビングに1台きりで(父が就寝する)20時には消されてしまう。
読みかけの本は行きの道中で読み切ってしまっていたため、まだ目がギンギンに冴えている21時頃、亡き叔父の本棚から適当に引っ張り出した丸谷才一の「女ざかり」。
この本が話題になっていたのは大学生の頃で、ベストセラーになっていたことも、吉永小百合主演の映画がヒットしていたのも知っていた。オジサンの間で。
そもそもタイトルがなんとなく気に入らないし、別に読む必要もないしどうでもいいやと思っていたのに、意外なくらい面白く読めた。
ストーリーや登場人物についてはご存じの方も多いと思うので詳述は省きます。1行で説明するならば、男社会で「頑張っている女性」パスを獲得した美人記者(死語?)が社内のいざこざに巻き込まれるも、それまでに培った人脈を使い(でも最終的にはそうでもない流れで)、最後は丸く収まるというお話。
ストーリーは何となく知っていたけれど、知らなかったのが丸谷才一の文章。
風の噂で旧仮名使いとは聞いていたけれど、平成に入ってからのキャリアウーマン(死語か?)を主人公にした物語もその文体で書いているとは知らなかった。読みやすいとは言い難いけれど、初めて読んでそのリズム感と言葉のセンス痺れた。
<下記一例>
三宅が首をかしげたとき、真鯛の蒸し物が来た。これは香料の使ひ方がしゃれてゐて、まあまあの出来(註:ベトナム料理を食べているシーン)。
一種空白な状態で、これは誰だらうとあわただしく考えてゐるとき、女が媚のある表情に変つて、哀願するやうに言った。
「ね、パタパタない?」
弓子は歩き出さうとする。からうじて、歩き出すことができた。
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...これ全部、舞台は平成の東京という事になっている。
でもそれほどの違和感もなく、ちゃんとお話としてまとまっている。
完全に個人的な好みなのだけど、登場人物の造形だったり場面の設定が今ひとつだったとしても、ロジックがきちんと完成していてお話の辻褄が合う話というのは「良い」小説だと思うことにしている。
そういう意味ではこの「女ざかり」、ツッコミどころはページごとに複数あるけれど、プロの書き手による滑らかなストーリ展開と時代に媚びない完成された文章、この二つが絡み合って小説でしか醸し出せない不思議な世界が展開されていた。
筒井康隆が連載当時、文藝時評で「緻密な計算による、ほとんど頽廃的なまでに長編の技法を駆使した作品」であり、「小説特有の面白さがなくなった現代文学から離れつつある小説好きが、その古典的構成の復活に喜んで飛びついてきた」と批評したらしいけれど、はい、私もまんまと喜んで飛びついてしまいました。
丸谷才一の小説を読んだのはこれが初めてだけれど、この世界観が気に入ったし、また他の作品も読んでみようと思う。しかし世界は広いです。どこまでつづいているのやら。
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