他人の痛みは
一郎さんは、滅多に風邪を引くこともなく健康なのだが、胃腸が少し弱い。若い頃は、よく腹を下していた。
ある時、便秘をしているところに下痢が来た。その時の痛みといったら、それまでに経験したことがなく、想像を絶するものだった。
その時の状態を例えてみるなら、「栓をしてあるサイダーを思い切り振った時のよう」と言ったらいいかもしれない。
膨れ上がった炭酸の泡の一粒一粒が、外に出たくて猛烈な勢いで上ってくる。しかし栓に遮られて出られずに暴れ狂って、ビンにも栓にも はち切れんばかりの圧力がかかっている。
あまりの痛さにあぶら汗が出て、顔が冷たくなってきた。貧血を起こした時のように気持ち悪くなり、便座に座っているのも辛くなり、床に横になってしまった。
その後、出口の栓も取れて、なんとか事なきを得た。
一郎さんは、その時ふと「お産の痛みも、こんな感じなのかな。」と思った。「『分娩』と字は違うけど、『べん』つながりだし。」とバカなことを考えた。
それを奥さんに言ってみると、奥さんは、「たぶんお産の方が10倍くらい痛いと思うよ。」と一笑に付されてしまった。
一郎さんは、自分の味わった痛みを理解しようとしない奥さんに苛立ち、「俺の痛みがわからないのに、どうして10倍なんて言えるんだ。」と反論した。
すると奥さんが言うには、「女の人はお産の痛みに耐えられるようにできているけど、男の人が同じ痛みを経験したら死ぬって聞いたことある。」と。
「耐えられるように出来ているなら、大したことないんじゃないの。」と一郎さんは、ますますムキになり、論点がずれた屁理屈を並べ始めた。
「下痢はお産より辛いと、俺は思うよ。お産は医者が待ち構えていて、看護師が介抱したり励ましたりしてくれる。
下痢は一人で耐えなくちゃならないんだよ。
それに、お産は出てきたら「おめでとう」と言われ皆に喜ばれるけど、下痢は、人前で出ちゃったら「ウ◯◯漏らし」ってバカにされるんだよ。あんな切ないものはないね。」
一郎さん、とうとう お産と下痢を一緒くたにしてしまった。
神聖な 命の誕生と排泄を同列にするとは、女性を敵に回すどころか、神をも冒涜する罰当たりである。が、百歩譲って、「他人の痛みは、なかなか理解できないものだ」という点だけは、一理あるかもしれない。
(ネットから画像借用しました)