リレーエッセイ「屋上」(連想#12)
12ターン目となるリレーエッセイ、今回は「屋上」について書こうと思う。前回のトミーくんのエッセイは「夏」がテーマだった。
「屋上」について書く前に、トミーくんのエッセイに書かれていた内容について、3点ほど補足および修正をさせてもらいたい。
トミーくんのエッセイの中盤に「八王子の盆踊り」に関する記述がある。「葉っぱキラキラキーラキラ、ハッ!」「太陽のまち〜はちおうじ〜」と歌われる曲について、トミーくんは <「八王子音頭」(?)> と書いているが正しい曲名は「大陽おどり 新八王子音頭」である。
八王子市民なら「葉っぱキラキラ、キーラキラ」と歌われて「ハッ!!」と切り返せる。「ハッ!!」と言えなければ非八王子民。そんなことがわかってしまうリトマス試験紙のような曲だ。八王子市民にとってのソウルミュージックと言っても過言ではない。歌っているのは佐良直美さん。
「大陽おどり」に関するこんな考察ページも発見しました。ふむふむ。
トミーくんのエッセイで、補足したい部分2点目は、私とトミーくんが所属していたバンド、サマーソルトフリークの「終わらない夏休み」というオリジナル曲について。トミーくんのエッセイには歌詞の前半のみ記載されていたが、補足として未掲載だった歌詞の後半を記しておく。
トミーくんも紹介していたが、「終わらない夏休み」の歌詞は私とトミーくんが高校3年の夏休みに自主制作映画を撮っていたときの思い出がモチーフだ。「あこがれの女の子が主人公を引き受けてくれたけど、僕は裏方仕事に追われるばかり。まいっちゃうなぁ、もう」みたいな内容である。
当時、「終わらない夏休み」というタイトルについて、対バン仲間のTちゃんからは「さわやかだけど、よく考えるとホラーだよね(笑)」と言われた。なるほど、言われてみればそういう捉え方もできる。無間、夏休み地獄! みたいな感じか。プレイステーション用ソフト『ぼくのなつやすみ』で、ある操作をするとゲームが“8月32日”に突入し、画像やセリフがおかしくなっていってなんだか怖い、という有名なバグがあるが、そんなゾクゾク感を思いがけず先取りしていた。
「終わらない夏休み」は、マスコミ系の専門学校を卒業後、社会人1年生のときに作った曲だ。当時20歳。その後私は、サマーソルトフリークと並行して活動していた別のバンドで「プロになる!」と決意して、勤めていた会社を1年4か月で辞めることになる。
アルバイト生活をしながらいたって真剣に音楽活動に励むなか、偶然会った元カノから「はじめくん、いまフリーターなの? じゃあ、毎日が夏休みみたいでイイわね」みたいなことを冗談っぽく言われた。なんだか蔑まれたような気分になり、なかなかに傷ついた。
でも、よく考えれば言い得て妙である。しばらくして「俺は学生でも会社員でもない。自分で選んだ道を進む毎日は、確かにずっと夏休みみたいなもんだ」と気持ちが切り替わり心に余裕が生まれた。気が付けば自分こそが「終わらない夏休みそのもの」になっていた!? たとえ考えに煮詰まっても「毎日が夏休みだもんなぁ」と割り切ると、遊び心のある決断ができ、大胆な計画が練れるようにもなった。
バンドで食っていく夢に破れてから、フリーライターで生計を立てているが、かれこれ30年が経ついまも「終わらない夏休み感」が心のなかに佇んでいる。
さて、トミーくんのエッセイで捕捉したい部分、ラストの3点目について。エッセイの中盤に、高校3年の夏休みに、文化祭に向けて「4人の仲間が協力し合って、出演、撮影、編集をこなしオムニバス形式で映画上映をした」という話が書かれている。そのブロックで、4人が撮った作品は、0くん「情報化未来」、Hくん「R指定」、はじめ「八王子ミステリーゾーン」、トミーくん「おかしな2人」だと記載されていた。だが、一部誤りがある。
Oくん、Hくん、トミーくんの作品名は間違いないが、私が撮った作品は「9 O'Clock(ナイン・オクロック)」というタイトルだ。「9 O'Clock」では、トミーくんに主人公の桜井を演じてもらった。確かに「八王子ミステリーゾーン」も撮ったけど、そっちはあくまでも余興。並行して制作していたコント動画「澤井はじめ短編集・ゼロ」の延長だったのかな? 詳細を忘れてしまった。
さて「9 O'Clock」はこんなお話。
現状に満足できず、何かをぶち壊したいけれど、何を壊していいのかわからない。当時、そんな青春の行き詰まりや葛藤を描きたくて台本を書いた。
映画終盤の緊迫した展開は、夏休み中に高校で撮影した。監督だった私は、シナリオ通りに芝居が進む満足感で、みんなの演技にOKを出していたが、収録した映像の随所には吹奏学部の誰かが校内のどこかでパート練習する音が入っていた。撮影現場で「まぁ平気だろう」と思っていた、間抜け監督。それ以外にもいろいろと素人過ぎて、最初から最後まで通して見てもストーリーを理解できないという残念な作品が仕上がった。
リレーエッセイの#4「締め切り」で、終盤に文化祭当日までに映画を完成させるために学校をはじめてずる休みしたエピソードを書いたが、まさにその作品こそが「9 O'Clock」だ。
出来上がった作品は残念でも、作っている最中は大真面目だった。企画初期の段階で「9 O'Clock」のラストシーンは高校の屋上で撮ると決めた。高台にあったわれらの高校は、屋上の見晴らしがよく、晴れた日の青空がとても広く感じられた。高校の中で一番好きな場所。葛藤から解放された登場人物たちの心情を描くには屋上しかないと思った。
これにて補足完了。 そして「夏→自主制作映画」というプロセスを経て、「屋上」を連想するに至ったことの説明もできた。
文化祭に向けて、高校の屋上で撮影した映像は他にもある。映画やコント集の他に、何の脈絡なく撮った映像作品がいくつかあり、そのなかに「ショパン」と名付けたシリーズ作があった。BGMにショパンのピアノエチュードを使った3本の短編で、屋上に置かれたテレビを高校生がデカ木槌を振り回してぶち壊していくという内容だ。私、トミーくん、制作仲間のHくんが破壊役を担った。BGMにショパンを選んだのは、単なるギャップ狙い。
わが映画「9 O'Clock」の少年たちと同じように、当時の私は何かをぶち壊したかったが、何を壊していいのか分からなかった。そんななか、私が目を付けたのがテレビだった。大ギタリストのジミ・ヘンドリックスは自らが弾き込んだギターを燃やし「これは魂の解放なんだ」と言ったらしいが、テレビっ子だった私はテレビを壊すことで何者かになれると考えた、……のだと思う。大人になったいま、当時の自分のことをこう思う「なんかやべぇな、こいつ」。
テレビを破壊する場所として屋上を選んだのは、パパッと撮ってすぐ片付ければ先生にも見つからずに済むし、破壊によって解き放たれた“何か”がその場から空へと飛び立っていくイメージがあったからだ。そんなことを、トミーくんと仲間のHくんに伝えたかどうかは覚えていないが、完成した映像のインパクトは抜群だった。満足した。だが、高校の文化祭で友達数人が見ただけな上、何の説明もしなかったので、見た人は「で?」みたいな感じだったと思う。高校3年生の私は「芸術なんてそんなもんだ。理解されなくてもいい」と思っていた。要するに“若さをこじらせていた”のだろう。
ちなみに、撮影に使った破壊用のテレビはゴミ置き場で拾って学校の屋上まで運んだ。当時は、不燃物のゴミの日に普通にテレビが捨てられていた。捨てられていたからといって、いただいちゃうのはダメ、絶対。ごめんなさい。どうやって学校まで運んだのかはまったく思い出せない。捨てられているテレビを見つけるや、自転車の荷台にでも括り付けたのかな……。
映画撮影は4人組でやっていたので、本当はテレビをもう1台調達してシリーズ4部作にしたかったのだが、それは叶わなかった。
高校の屋上を舞台にした私のオリジナル作品がもうひとつある。高校卒業後、だいぶ経ってからソロで音楽活動をしたときに作った「デイドリーマー」という曲。
高校の屋上で過ごした時間をモチーフにしたというよりは、大人になった自分が、青春時代に友達と屋上であれこれ語り合ったことを思い返しながら「困ったもんで、おれってヤツはあの頃もいまも変わらず夢見がちなんですよね」みたいな感じの歌だ。2004年リリース。自主制作CDを周りの人に買ってもらっただけだし、2020年にYouTubeに音源をアップしたきり宣伝をまったくしていないので全然再生されていなくて不遇だが、割とよくできた曲だと思う。個人的にだいぶエモい。
高校の屋上が舞台の楽曲としては、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」も大好きだ。歌い出しはこんな歌詞。
忌野清志郎さんの母校は、私とトミーくんの母校と同じ市内にあり、いわばお隣さんである。こちらの空とあちらの空がつながっている感覚があるし、川沿いに建つお隣さんの近くを通るたびに、いつもふと空を見上げてしまう自分がいる。
いま、近所の音楽好きな仲間とサンバ楽器を使ったアコースティック弾き語りユニットを組んで遊んでいる。メンバーのうち2人が、清志郎さんの高校の後輩ということもあり、それならばとトランジスタ・ラジオをレパートリーに加えさせてもらった。歌うのは私。「寝転んでたのさ屋上で♪」の部分についつい感情がこもる。私自身はいまも昔もノンスモーカーだけれど。
学校の屋上は、授業の現場である教室と対をなす「解放空間」に他ならない。それゆえに青春時代の特別なシーンが似合う。不良生徒は屋上で授業をサボり、ライバルと決闘する。恋愛ものなら胸キュンシーン。友達同士で沈む夕日を眺めるのにも屋上はちょうどいい。
97年からTBS系で放送されたバラエティー番組「学校へ行こう!」の名物企画・未成年の主張は、V6のメンバーに促された中高生が、校庭にいる全校生徒に向かって屋上から思いの丈をぶちまけるという内容だった。心に抱えていた後悔や反省の言葉、片思い相手への告白といった赤裸々な叫びは、屋上から放たれることによって青春度合が際立つ。
中学校の屋上にも思い出がある。中学時代、私が所属していた天文部には「週末に理科室に泊まって天体観測を行う」という活動があった。「学校に泊まる。しかも理科室に」というだけで狂気的なまでに興奮するのが中学生という奇妙な生き物の生態である。おやつやカップーメンも持ち込めた。数か月に一度、雨なら中止ということもあり、実施されるとなるとテンションはバカ上がりだった。
観測の日は、普段は入り口が施錠されている屋上に入ることができる。わが中学で、当時屋上に立ち入ることができたのは天文部員だけだった。それ以前に、天文部員以外は施錠された扉の向こうに、立ち入り可能な屋上があることを知らなかったと思う。中学の屋上はある意味で秘密の場所だった。
普段利用されることがないため、中学の屋上には柵がなかった。天文部が屋上を利用するのは夜なので、柵がないのはだいぶ危険だ。そんな屋上にゴザを敷き、タオルケットにくるまって寝転んで夜空を見上げているうちに、眠ってしまう部員もいた。とんでもない寝ぼけグセを持つ同級生Mくんが、眠ったままの状態でむくりと起き上がり、屋上を走り回り始めたのは本気でビビった。柵がない夜の屋上で眠ったまま走ったらまぁまぁ死ねる。なぜか無事だったけど。
中学3年間の天文部所属の中で、ただ一度だけ昼間の屋上に出られる日があった。日食観測のため、放課後に屋上へ続く扉の鍵を開けてもらえることになったのだ。はやる気持ちを押さえられなかったはじめ少年ら部員数人は、昼休みに扉の前に集合。そして「できれば放課後すぐに観測できるように、いまのうちに機材を屋上に出しちゃいたいよね」みたいな話になった。テンション高めだった私は「もしかしたらこれで鍵が開くんじゃない?」みたいなノリで鍵穴に針金をツッコんでカチャカチャやった。
すると鍵穴の中で針金が折れた。針金なんかで鍵が開くわけないのに。漫画の見過ぎだ、アホ、バカ、ノータリン。早く準備をするどころか、一瞬にして屋上に出られなくなった。このままでは日食観測ができない。
危機的状況は改善することなく、昼休みが終わる。午後の授業が始まる。まいった。本気で困りすぎて、その後どうしたのかをまったく思い出せない。放課後、屋上に望遠鏡を出して日食観測をした記憶はあるので、鍵穴の針金はなんとかなったんだと思うけど。人は都合の悪い記憶をうまいこと忘れる生き物なのだとつくづく感じる。
高校、中学の屋上について語ってきたので、小学校時代の思い出に残っている屋上についても触れておく。
小学生時代、秋に日本テレビで放送される「アメリカ横断ウルトラクイズ」が大好きだった。決勝の舞台はニューヨーク。エンパイアステートビルを眼前にのぞめるパンナムビルの屋上にヘリコプターで乗り付ける決勝進出者2名がめちゃくちゃかっこよく見えた。自分もあの場所を目指す! と、小学生の頃は本気でそう思っていた。
そんななか、小6のときにクラスメイトのSくんが「八王子横断ウルトラクイズ」というイベントを企画した。詳しく語ると長くなるので端折るが、当時はミニFM放送局の開局ブームがあり、私はSくんら友人数人で“ラジオ番組のまねごと”のような遊びに興じていた。その番組用にSくんが「ウルトラクイズ」を思いついたのだ。クイズは市販のクイズ本から出題を。Sくんは、見知った友人の他に、町なかで知らない子たちにも声をかけて出場者を募っていた。だいぶやべぇヤツだ。
そしてSくんは、本家ウルトラクイズの決勝地が「エンパイアステートビルをのぞめるパンナムビル」であることにちなんで、「うちらも市内で一番高いそごう八王子店をのぞめるビルの屋上で決勝をやるべきだ」と言い出し、謎の交渉力を発揮して、そごうにほど近いくまざわ書店八王子店の屋上の使用許可を取りつけてきた。「くまざわ書店に屋上なんてあるの? しかも使わせてもらえるの?」というのが、八王子に長く住んでいる人の普通の感覚だろう。それだけにSくんのアイデアと行動力はいま考えてもすごい。変な小6。
はたして、裏方だった私も八王子横断ウルトラクイズの決勝地であるくまざわ書店屋上に潜入したわけだが、なんと、屋上は店舗看板の裏手にあり、視界をさえぎられてそごうはほぼ見えず。ラジオ用に音声を収録していただけなので、大きな問題はなかったけれど、Sくんの企画に賭ける思いを考えると、やっぱりちょっと無念だった。
Sくんが八王子のエンパイアステートビルに見立てたそごう八王子店は、私が小学5年生のときに開業した。それ以前に八王子にあった百貨店、デパートといえば、大丸、西武、丸井、ダイエー、長崎屋。個人的には、アイドルの巡業がよく行われていた大丸の屋上、テレビゲームが流行する以前のアナログ感にあふれる“エレメカ”が充実していた西武の屋上が好きだったのだが、新規オープンしたそごうの屋上はあまりにもゴージャスで度肝を抜かれた。
そごうの屋上には、最新のテレビゲームや定番のエレメカに加えて、敷地の半面に線路が敷かれ、子供用列車がシュポシュポと走っていた。線路に囲まれた中央エリアには、アスレチック風のカラフルな遊具がドーン。小5の私は一目見て「遊園地じゃん!」と思った。そんなゴージャスだった屋上は時間の流れとともに寂れることに。2012年のそごう八王子店閉店により商業施設は「セレオ」へと切り替わり、その屋上いまはフットサルコートになっている。
かつて全国各地のデパートの屋上には「屋上遊園地」がたくさんあった。メジャーデビューを夢見て活動していた私のバンドが、2003年にリリースした自主制作CDの裏ジャケットは、確か松坂屋上野店の屋上遊園地で撮った。ジャケットをはじめ、CDのアートワークに使う写真を不忍池周辺で撮り、付近を歩き回るうちに松坂屋の屋上へ流れ着くなかで、カメラマンさんがスナップ感覚で撮ってくれた写真を採用した。なぜ屋上に行ったのかはよくわからないけれど、なんとなく高いところに上りたかったんだと思う。もしかしたら、煙と何とかは高いところへ、というヤツなのかも知れない。
そんな松坂屋上野店の屋上遊園地は2014年3月に閉演になったのだという。調べてみると全国の屋上遊園地は絶滅の危機にあり、22年のリサーチによると全国で10か所以下になっているのだそう。
アミューズメント機器の移り変わり、少子化による利用者減、天候に左右されるため何かとやり繰りが難しい。古くなった遊具の入れ替えやメンテナンスに費用がかかるといった問題があり、同時に、遊具メーカーが交換用パーツの製造を中止してしまうといった事情も影響しているのだという。知らなかった。カルチャーとして存続してほしい気持ちはあるが、そうも言ってられないのだろう。自分にできることが思いつくわけでもなく、ただただ切ない。
松坂屋上野店の屋上遊園地でCDジャケット撮影をする数年前、当時バンドの裏方をお願いしていた友人・木谷くんが住んでいた学生アパートの屋上で、MVを撮影したことがある。MVは未完成に終わったけど、あの日は突然撮影する流れになり、なんとなく「屋上で撮ろうか」ということになった。特別な狙いはなく、ただただなんとなく屋上。
あの頃、大学生だった木谷くんは自主制作映画を撮っていた。そもそも木谷くんはトミーくんの大学の後輩である。木谷くんは「はじめくんと気が合うと思うよ」とトミーくんから紹介され、そのつてで私のバンドを手伝ってもらえるようになった。そんな木谷くんが撮っていた映画「ノクターン」、主人公・ユウジを演じていたのはトミーくんだ。手元にある資料によると、あらすじは以下の通り。
当時、木谷くんと過ごすことの多かった私は、映画撮影にも時折立ち会い、裏方としてBGMや効果音のミキシング作業を手伝ったので、それなりに映画のことを覚えている。
なかでも印象的だったのは、トミーくん演じるユウジが全力で高層マンションの階段を駆け上がり肩で息をするシーンだ。高い場所から夜明けの遠景を眺める映像に、ユウジのナレーションが重なる。「イヤなことがあると高いところに登った。このあたりの建物は全部登った。そろそろ引越しどきだろう」。このシーンとセリフが、個人的にものすごく心に刺さった。
細かい言い回しは違うかもしれない。場面も屋上ではなく階段の踊り場だったかも。しかしながら、高い場所に登るとなんとなく気が晴れるのは分かるし、“近場の建物を登り尽くした”という言い草で、ユウジの悲嘆しがちな性格を表現する手法に唸らされた。そして「木谷くんも屋上とか、高い場所が好きってことなのね」と無意識に読み取って、勝手にシンパシーを感じていたのだと思う。
そういえば、私とトミーくんが好きなバンド・有頂天のボーカル、ケラさんのユニット「ケラ&ザ・シンセサイザーズ」が2015年に発表した「真夜中のギター」のMVも、バンドの演奏シーンはビルの屋上で撮影されている。
「真夜中のギター」のMVは、トミーくんがミクシィでメンバーを集めて組んだ有頂天のコピーバンド(私はベース担当)のドラマー・宮崎陽介くんが監督を務めた。歌詞に「空をごらんよ」という一節があるので納得がいく演出だが、いつか宮崎くんに「屋上はどういう狙いで?」「屋上は好き?」と聞いてみたい。
歴史をさかのぼると、1969年にはビートルズが屋上でコンサートを行っている。舞台となったのはロンドン、ビートルズに関するビジネスを多角的に扱うアップル・コア社の屋上である。なぜ屋上だったのかについては「屋上からロンドンのウェストエンド全域にビートルズを届けるんだ!」という思いがあったのだとか。
なるほど、屋上から演奏すれば町全体が聴衆になるという発想は、トンチが効いているし前衛的でもある。この屋上でのコンサートは「ルーフトップ・コンサート」と呼ばれ、ビートルズ伝説を語る上で欠かせないピースになった。詳しい解説はマニアの皆さんにゆずる。
2021年に制作され、ディズニープラスで配信中の「ザ・ビートルズ:Get Back」には、ルーフトップ・コンサートの完全版が含まれているという。ディズニープラスにはスター・ウォーズの関連作品も山盛りだし、加入したいのはやまやまなのだが、その他のサブスク費用がかさんでいるのでなかなか手を出せない。うーむ。
ふと思い浮かべてみると、屋上で演奏シーンを撮影しているバンド、アーティスト、アイドルはかなり多い気がする。見知らぬどなたかが「建物の屋上で撮ったMV」なるプレイリストをYouTubeに公開していた。
ビートルズは「町全体をオーディエンスに」というコンセプトで屋上に立ったというが、他のアーティストたちは何を思って屋上で撮影しているのだろう。
今回のエッセイで自分の思い出を振り返ってみた印象としては、屋上には青春のイメージがついてまわる。天井・壁・床に囲まれたフロアを上へ上へと登り詰めた先にある青空の解放感も格別だ。そういった共通認識が多くの人の心のなかにあり、「屋上の映像」を見た瞬間に爽やかな感覚が沸き立つのだと思う。その効果を狙って屋上が活用されるのだろう。
また屋上は背景を作り込まなくていいのでコスト的にも安価だ。ちょっと調べてみたら、いまどきは「撮影用の屋上レンタル」なんて商売もあるようだ。また、撮影用に限らず、キャンプ、BBQなどに使える屋上レンタルもあるのだという。都会にいながら、日差しや青空を感じて健康的な気分を味わえるのも屋上の良さだと言えるのだろう。
「健康的」というワードを書いて急に思い出したが、私が通っていた高校のプールは更衣室、柔道場、剣道場、体育教官室などがひとまとめになった建物の屋上にあった。そごう八王子店改め現・セレオの屋上がいまフットサルコートになっていると前述したが、屋上がフットサルコートになっている建物は全国各地にある。そんなスポーツとの親和性も屋上の特徴なのかもしれない。
中学時代、JR横浜線に揺られて町田へ向かい、度々まちだ東急百貨店の屋上にあったプラネタリウムに行っていた。プラネタリウムは1980年に開業、28年間の営業を終え08年に閉館したのだそう。いま屋上はフットサルコートになっているようだ。星空もフットサルも、どちらも好きな私にとっては、ちょっと複雑な思いだ。
今回のエッセイ「屋上」を書き始めるなかで、偶然こんな本に出合った。お笑いコンビ・インパルスの板倉俊之さんのエッセイ集「屋上とライフル」。
板倉さんは大好きなお笑い芸人の一人だ。20年ほど前、夢中になって見ていたお笑い番組「はねるのトびら」のなかでの存在感も抜群で、板倉さんが演じたキャラクターの物まねを仲間内でしたりしていた。そんな板倉さんのエッセイ、面白かった! 読みながら何度もクスクス、プププッと笑ってしまった。本書のタイトル「屋上とライフル」は、収載されているエッセイの題名から。板倉さんが屋上で経験したある出来事について、以前テレビでも話していた内容だったが、文字で読むとまた違った味わいがある。
私も板倉さんみたいに軽妙なエッセイが書ければいいんだけど、やはりお笑い芸人さんの物の見方、表現力の高さにはいつも驚かされる。
現在発売中の雑誌「ダ・ヴィンチ」23年9月号に掲載されている「芸人×エッセイ特集」にて、何本かインタビュー記事を書かせてもらった。取材させていただいたマシンガンズの滝沢秀一さんは「芸人は常に面白いことを探している」「どんなときも”面白くなれ”って願っている」「思った通りにならなくても、そのボヤキを笑いにできる」と語っていた。
人を面白がらせたいと思えば、日頃から面白いことを探すようになる。批判するのが好きな人は日頃から批判的だろうし、イジけた素振りで誰かにかまってもらおうとする人は率先してイジけて卑屈になっていくのだろう。私は、芸人さんたちのように、何でも面白がって過ごす生き方にあこがれる。
おっと、いつの間にか屋上にまったく関係ない話題になってしまった。
今回、自分なりに「屋上と私」的なエッセイを書けたとは思うが、屋上についての面白い話は他にもたくさんあるだろう。たとえば建築関係の人が書いたら、もっと違った話になったのかも。世界の七不思議に数えられる「バビロンの空中庭園」も、要は「屋上に庭があるだなんてふっしぎー」みたいな話だろうから、そんな歴史的観点や不思議ミステリー系の視点から語る方法もあったのかも知れない。
そんな反省をしつつ、リレーのバトンを引き継ぐことにする。お次もトミーくん、よろしくお願いします!