宮沢賢治と中原中也

◎二人の詩人のプロフィール(新潮文庫カバーより)

宮沢賢治
Miyazawa Kenji
(1896-1933)
明治29年、岩手県花巻生れ。盛岡高等農林学校卒。富商の長男。日蓮宗徒。1921(大正10)年から5年間、花巻農学校教諭。中学時代からの山野跋渉が、彼の文学の礎となった。教え子との交流を通じ岩手県農民の現実を知り、羅須地人協会を設立、農業技術指導、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上をめざし粉骨砕身するが、理想かなわぬまま過労で肺結核が悪化、最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行った。生前刊行されたは、詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』(’24)のみ。

中原中也
Nakahara Chu:ya
(1907-1937)
山口県生れ。東京外語専修科修了。若くして詩才を顕わし、15歳で友人との共同歌集『末黒野』を出す。1925(大正14)年上京、小林秀雄、永井龍男、河上徹太郎、大岡昇平らと交遊し、’34(昭和9)年に第一歌集『山羊の歌』を自費出版する。’33年の結婚後、長男文也を2歳で失ってから心身が衰弱し、’37年、鎌倉で急逝。小林秀雄に託されていた詩稿が、翌年に『在りし日の歌』として出版された。

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