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自己肯定感低めのわたしがフィリピン人に恋をしたら人生好転し始めた話

「しっかり者のお姉ちゃん」

幼いころから3姉妹の長女として頼れるお姉ちゃんを、わたしは必死に演じてきた。ときには妹たちの子守り、あるときはお母さんのグチ聞き役、またあるときは両親のケンカ仲裁。

会社に就職するころには、彼氏に尽くしまくる女性になっていた。

ある日、自己肯定感低めのわたしがあるフィリピン人と出会い、たった6か月で人生が好転し始めた。今でも他人からどのように見られているか、正直気になるときもあるけれど「そんな自分でもいいじゃん」と思えている。

あまりに奇妙なノンフィクションなので、共感いただけるかわからない。けれど過去の自分と同じことであなたが悩んでいるならば伝えたい。

誰かに合わせて自分をねじ曲げなくてもいいんだよ。
自分にダメなところがあっても大切だと言ってくれる人を大切にしよう。

これはわたしの身に本当に起きた信じられないお話。


彼色に染まりまくるわたし

当時使っていた英会話の教科書

「整形したら?」

彼氏がいつものように言葉のナイフでわたしを刺してくる。わたしは奥歯を強く噛み締めた。

当時わたしは30歳で4歳上の彼氏と付き合っていた。丸の内街コンで出会った彼は、人が思わず「うらやましい」と思うような男性。彼は同志社大卒、商社マン、高年収、身長182cm。そして筋肉隆々と、いわゆる“優良物件“だった。千載一遇のチャンスを逃すまい。わたしは彼にフラれないように必死だった。

ダイエットしたり、彼好みの髪型に変えたり、普段わたしが身につけないようなブランド服やバッグを買ったり、英会話教室に通ったり。なぜか外国人の友達を5人作る目標も課せられる。彼に似合う女性になるためであれば、彼のあらゆる希望を聞いた。

しかし彼からの「整形のすすめ」はどうしても受け入れられなかった。

わたしを操り人形としか思っていない。

わたしはようやく目をさます。彼を許せなかったと同時に、見抜けなかった自分に対して腹が立った。まさか“おとり物件”だったとは。

周りの友達は次々と結婚や出産をしていく。友達はみんな幸せそうだった。わたしだけ置いてけぼりにされて、とうとう友達の幸せを素直に喜べない自分になっていた。

フィリピーノとの出会い

東京ガーデンテラス紀尾井町のクリスタルツリー

フィリピーノからのナンパ

毎年恒例・クリスマスイルミネーションのライトアップが街で始まったころ、わたしたちは出会った。

わたしが勤めていたのは、赤坂駅近くのドラッグストア。ある日の20:50閉店間際、いつものように閉店作業をしていると、2人組の外国人がやってきた。20〜30代くらいのフィリピン男性・ロイとフィリピン女性(のちにレズビアンだとわかった)は、どうやら友達同士らしい。観光で日本へ来たという。

幸い2人が探していた商品も見つかり、わたしがほっと胸をなでおろしたときだった……。

急にそわそわし始めるロイ。日本語に翻訳されたスマートフォン画面を見せられる。

「いつあなたの仕事が終わりますか? 一緒にご飯を食べに行きましょう」

「ん? ナンパ?」とわたしは思ったが、ロイと一緒にいた女性もいるから大丈夫だろう、と楽観的に考えた。

“OK! My work will be done at 21:30. please wait.”

たどたどしい英語で伝えた。伝えたいことはなんとか伝わったようだ。わたしが選んだのは海鮮居酒屋の磯丸水産。この時間でもきっと賑わっているだろうし、どうせなら日本らしい居酒屋に連れて行きたかった。

案の定、お店の中は21:00を過ぎても大繁盛していた。席につき2人に「Kanpai(乾杯)」という日本語を教えて生ビールを飲み交わす。魚でも貝でもなく枝豆が好評だったのが一番意外だった。

スマートフォンの翻訳を通した会話は23:00ごろまで続いた。話の中で「案内するから今度はフィリピンに来てよ」と言われていたが、まさか現実になるとは……。

別れ際、ロイにLINEアカウントを作ってもらい連絡先を交換し、毎日のように連絡を取り合った。当初は自身の英語力アップのためにメッセージを送っていた。しかしやり取りを重ねるうちにロイとわたしは惹かれ合い、2人の恋はいつしか国境を越える。

わたしの彼氏はフィリピーノ

“I love you honey.”
“I love you too.”

ロイとの甘い言葉(はちみつではない)“I love you.”の掛け合いが始まった。そう、気づけばわたしはロイの彼女に。

街を歩けばどこもかしこもクリスマスムードでいっぱいだ。超遠距離恋愛だからロイはここにいない。けれどもわたしの心がロイからの愛情でどんどん満たされていくのを感じた。

ある日、いつも自信がないわたしに対しロイが聞いてくる。

「どうしてそんなに自信がないの?」

わたしは元カレとどのような関係だったのか伝えた。ロイは元カレへの怒りをあらわにしつつも、わたしにあたたかい言葉をくれた。

「君の顔も体型も心もすべて美しいから、変える必要なんてないよ」

この言葉が欲しかったんだ。

わたしの心に張り付いた氷がゆっくり溶けていく。心がほかほかになるのを感じた。次第にわたしはありのままの自分を好きになっていった。

東京では春一番が吹くころ、ロイの彼女として初めてフィリピンへ。フィリピンの広大な自然や彼の大きな愛情にふれて至福のときを過ごした。気づくと自己肯定感が上がっているのを感じた。自分は自分のままでいいんだ、と。

しかしはちみつのように甘い時間は終わりを迎える。

お互い母国語が異なり、2人の共通言語はいつも英語だった。言いたいことをうまく伝えられず、徐々に2人はすれ違っていった。

ちょうど街の桜が散りきり新緑が見え始めたころ、ロイから別れたいと連絡が来る。好きな子ができた、と。涙がにじんだが、困惑する気持ちのほうが大きかった。

「どうしてそうなった?」「なぜ?」必死に翻訳しながらLINEで会話を進める親指が止まらなかった。

実はロイからの連絡の10日後、わたしは2回目のフィリピン旅行の予定だった。ロイの彼女として、わたしも彼の親戚が集まるREUNION(日本でいうお正月やお盆の家族の集まり)に参加するためだ。

結局ロイとは別れたが、このREUNIONにわたしは「元カノ」として参加した。上司にかけ合って死守したGW10連休。フィリピンへの渡航をやめる、なんて選択肢はわたしの頭の中になかった。それに……

きっと今後の人生で話のネタになるだろう。

と考えていた。

実際にまるで『世界ウルルン滞在記』のような10日間は、わたしの人生で3本の指に入る最高の思い出になった。自己肯定感(ありのままの自分でいいと思える感情)と自己効力感(自分ならできると思える感情)が増し、かけがえのない友達と出会えたからだ。

フィリピンウルルン滞在記

ロイの親戚からもらったファミリーTシャツ

わたしは何しにフィリピンへ?

まだ困惑する気持ちを消せないまま、わたしは羽田空港を飛び立った。ニノイ・アキノ国際空港へ行き、国内線に乗り継いでラギンディンガン国際空港まで1人で辿り着けた。

到着ロビーでわたしを待ち構えていたのは、ロイと彼と同世代だと思われる男女5人。どうやら全員ロイの親戚らしい。彼らはわたしを大歓迎してくれた。ロイだけは苦笑いだったが。

その日からロイの家で彼らとの10日間の共同生活が始まった。

彼らが作るフィリピン家庭料理の香りと、スピーカーから聴こえる大音量の音楽で目が覚める。

昼には竹と糸でできた釣りざおで魚を釣ったり、底が透けて見えるほど透明度の高い海で遊んだり、ストリートバスケをしたりした。

夜には日本のものよりだいぶ深めの天然温泉でいい大人同士で騎馬戦をしたり、恋バナをしたりして、まるで小学生に戻ったかのように遊びまくった。

フィリピン旅行3日目には予定通り「家族の集まり」に参加。しかしわたしは甘く見ていた。なんと総勢100人以上の親戚が一堂に会していたのだから。さらにびっくりしたのはわたしのコミュニケーション能力だ。

日本では引っ込み思案のわたしが、ボディランゲージと単語を並べただけの英語で彼らと仲良くなっていった。もちろん彼らの文化や伝統を尊重する気持ちを大切にね。別れの際には彼らがわたしにファミリーTシャツをくれた。今でもこのTシャツは捨てられない宝物だ。

幸せに生きるために大切なこと

左から5人目がわたし

フィリピンで経験するすべてのできごとが新鮮だった。帰りの飛行機の中でどこまでも青く澄んだ空を見つめながら、わたしはあることに気づく。

わたし、フィリピンに来てからずっと笑っていたな。

日本にいると、自信がなかったり、相手に合わせたりして自己肯定感が低く笑顔が少なかったわたし。

しかしロイと出会って「ありのままの自分でいいんだ」と思えるようになった。海外1人旅を通じて「自分ならできる」と実感。そして毎日子どものように彼らと遊んでいるうちに「自分のやりたいことをやっていいんだ」と思えるようになった。

ありのままの自分を大切にしてくれる人と一緒にいよう。
徐々にありのままの自分を好きになれる。
好きな自分で新たな行動をしたら自信がつく。
自信がつけば他人の価値観に惑わされない自分で人生を切りひらける。

ツラい経験の中にある「光」を探そう

船でカミギン島へ行くときに撮った写真

今回紹介した2回の失恋以降、ツラいできごとで何を得られたか考えるようにしている。なぜか? ツラく苦しい経験こそ人生が好転するチャンスだから。

あなたはわたしよりもツラい経験をしてきたかもしれない。その経験を「ネガティブな経験」として心の奥にしまっておくのではなく、その経験から何を学べるか考えてみてほしい。その瞬間から人生は180°変わるだろう。

だからこそ、何度でも伝えたい。

ツラい経験の中にある「光」を探そう

最後に。当時付き合っていた商社マンの彼へ。

あなたが勧めなければ、わたしは英会話教室に通わなかった。外国人の友達を作る気にもならなかっただろう。ロイやフィリピンの友達と仲良くなれたのは、あなたのおかげだよ。

出会ってくれて本当にありがとう。

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約4,000字の長文を読んでいただき、ありがとうございました。
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