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日和とフィーカ~5杯目~

シューという名の女の子

この日の用事をあらかた終わらせた僕は、まっさらなその後の予定に何を描き加えるべく、スマホを片手に左右に立ち並ぶビル郡を見渡しながら歩いていた。日中はビルの窓の一つ一つから、さまざまな店が顔をのぞかせては手招いていたが、20時を過ぎる頃になるとこの通りからは人の声も減り、示し合わせたかのように看板がしまわれ始める。なるほど、街自体におおよその活動時間があるようだ。しかたない、違う場所に移動しよう。

僕は今東京に来ている。これまで、大学や仕事やそれ以外の所用においても東京という町にはとことん縁がなく、個人的にも特別上京したいという願望も必要性もなかったので、実は数える程にしか東京を訪れた事は無い。それ故に妙な偏見というか思い込みを持ったまま、毎度「これが東京か…」と滴ってくる冷や汗を拭いながら立ち向かう次第である。

そんな僕にも繰り返し訪れていた街がある。そのひとつが下北沢だ。自身の音楽活動としては東京に縁は無かったが、演奏する以外にもライブを見る事が好きだった僕は、過去にイベントを見る目的で何度かこの街に来ていた。とはいってもほんの一部分を開拓したくらいなものなので、シモキタといえばこれだね、なんて語る程の経験値など全く積めていません。ニワカって言葉がすごく似合いますね。そのような経緯もあって、他の場所と比べると、落ち着いて過ごすことの出来る場所なのではないかという認識がある。
駅から降り立つと全国から集まったシティボーイ共が酔っ払いながら騒いでいる様子が見えた。こんな街を落ち着いて過ごすことの出来る場所と言い切ってしまったことに後悔の影がかかる。しかしそんな彼らはもはやお約束といってもいい存在だ。ニュアンスで言うとマリオのステージ序盤に出現するクリボーに近い。何故かそのようなものを見て「帰ってきた」気がした。自分でも安心の仕方がおかしいことを実感したと同時に自身のホームの認識を何とか改めなければと強く誓った。
愉快な集団をジャンプですり抜けて駅から坂を下っていく。ここは細い道が入り組み、あらゆる方向から様々な個性を持つ人種とのエンカウントが繰り返される。加えてバンドマンの風貌がそこかしこに見られる。このサブカルチャーが極まったような雰囲気に心が丸くなり、時間の流れ方すら穏やかになっていくようであった。この街で僕が感じる安心感というものがここに由来するものであることを切に願う。
情報量と時間の速さが東京とそれ以外の地域の大きな違いなのだろう。匿名性は良くも悪くも人を置いてけぼりにする。流れに逆らわなければその波の1部でいられるし、上手く立っていられなければ、その波に飲まれたままどこにいるのか分からなくなってしまう。

下北沢駅からとりあえず歩く


洋酒と珈琲 つむじ風

街の空気に誘われるがまま足を進めていると、とあるビル前にたどり着いた。先ほど必死の様相でスマホを叩いていた時に見つけた店のあるビルだ。ちょっと気になっていたので、ちょうど良いではないかと階段を昇っていく。出先では行く先が決まっていなければこんな感じで「ちょっと気になる」というふうに感じた店に入るのが大抵正解になると僕は思う。評価がいいだけでとりあえず行ってみようだなんていうのは実際誘導されているだけで自分の決定でない場合が多い。しかし「ちょっと気になる 」は何かが要因で心がすでに揺れ動いているのだ。
心をリズミカルに揺らしながら店のドアを開けようとする。意外と硬かった。割と豪快な音を立てながら店内に侵入してしまったが、店内の方々は割と慣れているのか意に返さない様子だった。

1人だと告げるとカウンターへ案内された。店内はテーブルがいくつかとマスターのスペースを囲ってカウンターが配置されている。背後には大量のレコード。視力があまりにも悪いために全然見えなかったが、昭和のEPが大量に並んでいたように見えた。店内に小洒落たフォークソングが行き渡り、曲を知らなくとも耳に馴染みのあるビート感が身体をそっと揺らしてくれる。
珈琲を頼むつもりで店に入ったが、なんとなく気分でラムトニックとミックスナッツを注文。昼間から雨上がりの日照りという凶悪なコンディションの中出掛けていたため随分と汗をかいてしまった。こんな時にさっぱりしたものが欲しかったのと、少しだけこの空間の中で酔っていたくなったのだ。
翌日以降の日程をまとめていると、ラムトニックがカウンター越しにやってきた。グラスの中にはライムがあしらわれており、ラムの芳醇な香りと混ざり揮発してゆく。その酸味は今日一日の疲労感をいとも容易く一蹴するようにさえ思える。口に含めばなおさらその香りと爽やかさは身体を駆け抜けていく。まさに今僕が世界で1番欲していた物はこれだったんです。フィーリングと潜在的ニーズが合致した瞬間だった。

しばらく一人で飲んでいると、僕のほぼ向かいの辺りに座っている常連であろう女性とマスターとの会話が聞こえてきた。バンドや音楽の話をしていたようで、ほんまに下北沢やなぁ、などとよく分からない感想を持ったことを覚えている。その会話の中で、何かの拍子にレコードを何個か手にし、つらつらと話をしたあと、マスターがその中の一つを選び、曲が流れ始めた。そこで流れてきた曲に僕は釘付けとなった。
『シューという名の女の子』というタイトルらしいその曲はりりィというアーティストの曲だそう。音楽知識が浅過ぎて存じ上げなかったが、その夜色んな曲を聴き漁ってみると、どこかで聞いた事ある曲もあった。なんという美しいハスキーボイス。たまらなくセンチメンタルなニュアンス。ブルージーなアレンジはシンプルだが飽きを感じさせない。
涼しい顔をしながら無言で曲をチェックし終えた僕の頭の中には『シューという名の女の子』が流れ続けていた。その後にざまざまな曲が流れていたが頭の中はその曲でいっぱいになっていた。

もし今日このタイミングに東京という街にいなければ、この店を選んでいなければ、常連のお姉さんがいなければ、この1曲には生きている間に出会わなかったかもしれない。
そのようなことを考えていると、一気に店の空間が自分の体に馴染み始めた。さっきまでの借り物の心地良さではなくて心が店に適合したような感覚である。さっきまでの心地良さの感度がさらに増していく。頭ではなく、心で理解するというのはこういう感覚に近いのかもしれない。
完璧な空間というものはきっとこういう物なのだろう。と内心ガッツポーズを作りながらグラスをまた口に運ぶ。そして音に合わせて体を小さく揺らす。しばらくの間、ただただそれらを繰り返した。

後ほど東京在住の友人と合流することになり、つむじ風に来るように促した。その友人のことはよく分かっている。きっとこの店を気に入るだろう。また僕とは違う楽しみ方も見つけながらそいつなりの時間を過ごすのだろう。

東京という大都会の喧騒の中でも、こんな空間に身を置くことができるからこそ、また波に乗り続けて行くことが出来るのだろうか。日常と非日常のギャップが大きいからこそ、その振れ幅からくる感動は大きなものとなり、東京の魅力の一つとなっているのではないか。
これまでに全く見えていなかった東京という物を少しだけ解き明かすことができた気がした。
まぁ少し分かったような気がしたただけで実際に何が分かった訳でもないし、何が変わった訳でもない。ただ、こんな街だからこそより身に染みて受け止められる物もあるということは事実だろう。

次にその店に行くことがあればどんな曲を聞かせてくれるのだろうか。僕はもう一度『シューという名の女の子』が聴きたいんだけどなぁ。


〆。

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