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日和とフィーカ〜4杯目〜
椅子に腰をかけたまま思い切り伸びをする。これはかつて国家試験で死ぬほど机に向かっていて時に身につけてしまった癖だ。どこの椅子であろうとも、問答無用で自動的に手が天高く伸びてしまう。例えその場がどれだけ厳格たる聖域だとしても、その無意識下の衝動を抑えることはまるでできないのだ。確信すらしている。
伸びをするという動作は肩や腰が凝ってしまうからと、それを解消するために始めたことのように思う。しかし、今となってはそんな肩凝りなどとは無縁の生活を送っているにも関わらず、この癖は僕の中でしぶとく残り続け、未だに椅子に座るたびにその顔を覗かせてくる。何の恩恵ももたらすことの無いこのルーティンは不本意ながらにも僕の血肉と化してしまった。
癖となってはいるものの少しはコントロールをしたい。どこでも構わず伸びをすることで周囲を喜ばすことのできる生物は猫かハムスターくらいではないか。僕みたいな一般成人男性の伸びなど視界の妨げや不審な行動と解釈されても致し方ないことなのである。
この癖が発覚したのは歴史と風情の感じる佇まいの厳かな(といっては言い過ぎかもしれないが)店の中だった
皐盧庵茶舗
「玉露が飲みたい!」
同居人からの唐突の提案だった。あまりにも唐突で予想だにしていなかった提案に僕の世界は一瞬にしてフリーズした。しかし、何がしかのリアクションを取らなければならないと、完全に思考停止したままの僕の口は動き出した。
「ぎょくろー?」
完全に赤ちゃんから発される言動だ。おそらく目は虚ろで、口は空きっぱなしで、鼻水も垂らしていたことと思う。
これまでに玉露という字面を見たことはあったが、実際に玉露を飲むという発想に至ったことの無かった僕の脳みそでは、それがどういうものなのかの想像が及ばなかったのである。せいぜい僕の中で玉露といえば某ペットボトル飲料に玉露入りと歌われているものを「ほうほう、これが玉露なのか!」と知覚できるはずもないその味を必死に味わう程度のものでしか無かった。
正気を取り戻した僕は(あほな発言を無かったことにしながら)二つ返事で了解と返事をした。小さい頃から幼稚園でお茶を点てていた経験もあるし、どのようなお茶であれ分け隔てなく好きなのだが、まぁ玉露とは言ってもお茶はお茶だろう。そんな事を考えていた時期が僕にもありました。
店のチョイスは全て相手に任せ、完全に付き添い思考で当日を迎えた。夜はまだ肌寒く3月の気候ではあったが、当日は晴天に恵まれ日差しの下では少し暑く感じる陽気。
久々のちょっとした外出だったので、せっかくですからと見慣れない街並みを徒歩で散策しつつ目的地を目指す。いつも行く京都の街中からは少し外れた場所だったのだが、整った碁盤目状の街並みと、現代建築の隙間に生える歴史を重ねた建造物は、やはりこの地域を象徴するマークとなっているようだ。
ある程度歩くと車や人の通りも少なくなり、また違った雰囲気を味わうことが出来た。歩いている間、関西に住む間に使いこなすことの出来なかった憎き京都のバスを何台も見送っているうちに目的地に到着した。
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親しみやすい外観ではないか、よい茶店ではないか、と暖簾をくぐると店内はかなり厳かな空気の漂う和室が広がっていた。なぜか僕は唾をゴクリと飲み込み、大層な場所へ来てしまったぜと気を引きしめ、奥へと歩みを進めていく。
腰を痛めていた時期ということでテーブルと椅子のある部屋に案内してもらい、玉露を飲みに来ただけだと思っていた僕は卓上に並べられた立派な和のティーセットを、目にして恐れ戦いた。大層立派なお茶菓子や器が並んでいるのである。
感動と動揺の入り交じった挙動で席に着いた僕は予約内容の説明を必死に聞く阻止装いをする。しかし頭の中はそれどころではなかったので実際に何も覚えていない。平常心を失うと人間というものはこれほどまでに脆くなるのか。
その後、ごゆっくりお寛ぎ下さいと決まり文句を言われた僕は人が居なくなったことを確認したとたんに腰を伸ばした。溜まりに溜まった緊張感を解きほぐすかのように目いっぱい、天を突く程の渾身の伸びであったと思う。もちろん無自覚の内に。
「痛いの…?」
しまった。人前でやってしまった。さっきまで縮こまっていたやつが唐突に、これ以上ないだろうというような世界最高の伸びをしたのだ。それに加えて長時間歩かせてしまったことを申し訳ないと感じさせてしまったらしい。これは完全な失策である。
ずっと勉強していたから腰を痛めててという説明が咄嗟に口から飛び出る。嘘ではない。さらに僕の口は続く。
「ずっと腰痛めてたから伸びをするのが癖になっちゃって」
なんという癖だと自分を小一時間問い詰めたい。ただのTPOを弁えることの出来ない、とんでも伸び野郎がここに爆誕してしまった。
ただ、咄嗟に口から癖になってるという言葉が飛び出てしまったが、それは存外間違いではなかった。実はこのような伸びをどこでもやっているのではないかと、頭の中で一瞬にして記憶を遡り始める。勉強中のカフェ、居酒屋、大学の中、帰宅してソファーに腰掛けた瞬間、あらゆる場面で大小の伸びを披露している。もちろんそれを同行人も見ているはずである。
「あぁ、たしかにね」
悲劇とはこのように簡単に生まれてしまうものである。一瞬で納得されてしまった。完全に腑に落ちた表情で相手は卓上のセットに目を落とした。僕も心の涙を流しつつ、「玉露が楽しみだね」などと先程の発言を上書きしようとひたむきになっていた。
お店の方に玉露を淹れてもらい、1番をいただく。
玉露は高級茶葉だと言うことを知っていたが、本当に美味しく味わうためには淹れ方もとても大切なのだそう。少量低温の湯でじっくりと旨味を抽出し、少しずつ味わうと良いらしい。
ふむふむなるほどと、その手技を眺めつつ、眼前に到着した1杯。同行人と目を合わせ、同時に口に運んだ。
鼻からふくよかな茶の香りが感じられ、舌に触れた瞬間に漠然とした風味ではなくて「旨味」の塊のような物が具体的に感じられた。そしてまた口から鼻へと香りが立ち上りながら感覚の刺激を続ける。苦味などという物は微塵もなく、一切遮られることの無い、純粋な旨みの境地を見た気がした。
その部屋では声もなく感動で満たされており、先程の伸びの悲劇は僕の中でもすっかり姿を潜めていた。
その後も玉露の余韻を口内宿したまま、他の抹茶や菓子の感動的な味わいは絶え間なく続き、皐盧庵茶舗を後とした。
帰りの阪急電車に揺られながら、玉露の感動についてさらに話したり、関係の無い世間話を交わす。この経験はほんの短い時間であったものの、その玉露のように旨みの詰まった瞬間であった。
時間の長さなどは、さほど問題では無いのだ。雑味のない旨みがそこにあればそれは記憶や身体に染み渡ってずっと残り続けるだろう。
久々の外出で体力を使ったのか帰宅すると同時にソファに沈みこんだ。その日のことを思い返していると腕が天に伸びる。
「あっ」
〆。