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祝フォロワー 1

皆さんこんにちわ☺︎

昨日からnoteを書き始めて、昨日初めてフォロワーさんができました!

とっても嬉しかったです。🌷
(ありがとうございます!)



今回はフォロワーという数字や承認欲求について書こうとおもいます。

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ぼくはプライベートではInstagramやTikTokなども使用している。Instagramは高校生のころから使用しているのでほとんどがお友達、お友達のお友達と繋がっている状態だ。
Instagramは特にフォロワーを増やしたいとも思っておらずきままにやっていて
フォロワーが増えることもまれで嬉しいという気持ちは今回ほどではない。

でもたまに承認欲求からなのか投稿を凝ってみたり、TikTokでは動画を出して投稿したりもして力を入れて頑張ろうとすることがあった。

だが1いいねや1フォロワーさんが増えても満たされるというよりか、

「1だけかぁ。」

と落胆し、力抜け。

自分の承認欲求は満たされるどころか心は白濁するようでした。

何のために、目的は何か

僕はそれがはっきりしないまま突っ走ってしまっていたようです。


「承認欲求を満たす」という目的を核にし、どのように承認されたいか、プロセスまでも考えて行動出来る人は長く力を注げるのだろう。

だがそこまで考えて承認欲求を満たしたい人は多くは無いと思う。

「ただ認めてもらいたい、」


それだけなんだとおもう。

認めてほしい、という感情はやっかいだ
認めてもらわなければ自分に自信がもてないのか?
認めてもらわなければ自分自身に意味がないと感じてしまうのか?

認めてもらわなくても自分で認めてあげてほしい。


僕は僕を認めている

僕はぼくで私であると

そう認めてから心に余裕が少しできたきがする。


実はnoteも何度か始めようとしたことがある

でもその時は、どの年代にに見て欲しいか、どんな人に見て欲しか、どうしたら認知されるのか

見つけてもらい承認されたい欲が強かったのだ

顔写真も使用したり年齢や自分自身の情報も開示してnoteを始めようとしていた。

でも始められなかった。

自分を認めてもらおうとする欲を満たそうとしても、満たされないことを知っていたからだ

同じことを繰り返したくなくて
僕はぼくとして今回、新しくスタートした。

自分の情報はなにも開示せず
ただ僕は今日のぼくを文字にして認めることにしたんだ


そうして昨日初めてのフォロワーさんが出来た。

喜びが違った

心から嬉しかった

僕の認めた(したためた)言葉が誰かに届いた気がして

心から暖かい気持ちになったんです。

1という数字がこんなにも嬉しいだなんて知らなかった。

新しい僕のスタートを見守ってくれるフォロワーさんに、これからこれからのぼくをみていって欲しい
(ちょっと欲がでちゃたかも笑)

でもこれが今日のぼくだ

書くのが楽しい、もっともっと書き残したい

そのたった1でもその1が僕の力の源になることを知れた



僕は今日のぼくを未来の僕のため、

未来の誰かのために、認めていくのも悪くないかもしれない。


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