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年の始めに筆を走らす

毎年、一月二日になると親子で書き初めをする。

朝、三人でお重を囲んでお雑煮とおせちをつまんだあと、習字道具を二揃い、部屋にセッティングした。一つは娘が学校の書写の授業で使っている習字セットで、もう一つは私が小学生の頃から使っていたものだ。時々筆を買い替えるものの、硯も文鎮も未だに壊れる気配もなく長持ちしてくれている。

炬燵の横に小さな折りたたみ机を置き、部屋の隅に新聞紙を敷きつめて、墨で文字を書いた半紙を乾かすためのスペースを確保すると、準備はだいたい整う。

まず夫が小さな机に、娘が炬燵にとそれぞれ席に着く。墨汁を硯に垂らし、筆を手に取ると、思い思いに文字を書いていく。自由に。抱負を書く前に、手を筆に慣らすため、練習用の半紙を用いて文字を書く。白い紙の上には、何を書いてもいい。
基本的に筆使いの手慣らしの時にはマイブームを書く。例えば夫は去年、水星の魔女にまつわるフレーズを書いていたし、その前の年はザブングルだった。

文鎮を載せた半紙のすぐ脇に、お手本を表示したスマートフォンを置いて、見比べつつ筆を走らせていく。夫の手元を見ると、「それは流石に嘘だよ」と半紙いっぱいに書かれていた。

「それ、なんだっけ?」

私が尋ねると、

「フリーレンの台詞」

と返ってきた。

そう言えば、少し前にツイッターで大喜利みたいなものをよく見掛けたなと思い返す。ある出来事に対してつい最近のことのように語ったあと、「それは流石に嘘だよ、もう10年も前の事だよ」と続く。そういう構文のようなものが流行っていた。

娘の方を見ると、「獄門疆開門」と書いた半紙を新聞紙の上に並べている。アニメ呪術廻戦で強大な力を持つ人物を封印するために使われた道具にまつわる文言だった。先日、丁度、お風呂から上がって寝るまでの間、録画を見返していたので、印象にハッキリ残っているのだろう。

「四角い漢字ばっかりで書きやすい」

娘はそう言うと、これはうまく書けた、と満足そうに付け加えた。

私は二人が砂場で泥団子を作る子どものように喜々として練習している姿を、例年、眺めているだけなのだけれど、今年は試しに「煮付け」と書いてみた。夫と娘は「もうそれが今年の抱負でいいんじゃない?」と笑っていた。そんな風にして、一月二日は筆を片手に真面目に遊んだ。

一通り手を慣らしたら、抱負に取り組む。夫はゆったりじっくりと芸術や学問を味わうという意味を含む四文字熟語を選び、娘は伸びやかな言葉を選んだ。

私は真っ白な半紙を前に、じっと考え込む。

なにかを形にしたい。

胸の奥にさわさわと波立つような感情が浮かぶ。どこか焦りにも似ているけれど、無にも似ている。

今はまだ手の中に何もない。

けれど、実らせたい。

始めたい。

そういう気持ちを「花」の一文字に託して、「花開く」と書いた。
スタートラインがどこかもわからない。始められるのかもわからない。あまりにもぼんやりとした状態だけれど、実るための花を、小さくてもいい、咲かせたい。

書き初めの締めくくりに、抱負を書いた半紙を部屋の壁のよく目につくところに貼った。今年一年を費やして、何ができたのか、年の暮れになって答え合わせをする時に、どんな思いが胸をよぎるだろう。安堵か、それとも後悔か。その時、自分に対してかける言葉は何色をしているだろう。

なにかひとつ。ささやかでいい。芽吹かせたい。

そんな風に心の片隅で小さく小さくつぶやきながら、習字道具を片付けた。また来年も、未来へ向けて、三人で笑い合いながら書けるといい。


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もちだみわ
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