半紙に抱負と余白を乗せて
毎年、一月二日に書き初めをしている。
抱負を決めて書き上げるのだけれど、夫も娘も、まずは抱負をすっ飛ばして、自由なテーマで書く。
「筆に手を慣らすために、試し書きに思いついた一文字を書いてごらんよ」
と、娘に言ったところ、
「書き順が分からないなぁ」
と言いながら、半紙の上に私の名前を書き始めた。娘に自分の名前を書かれる微妙な気恥ずかしさは、どこからやって来るのだろう。心のずっと奥の方だろうか。ちょっとよくわからない。
娘はひとしきり書いて満足すると、二枚目の半紙を黒い布の上に置き、文鎮を乗せた。墨を筆に含ませて、半紙に穂先を滑らせる。
一文字目は『聖』だった。聖なる何かになるつもりなのかと思いきや、
『刃』
と続いた。
『聖なるやいば』?。……あぁ。そうではなくて。仮面ライダーセイバーだ。
内心笑いそうになった。実際私は笑ったかもしれない。その横で娘がやや首を傾げながら言う。
「教室で椅子に座って書くときの姿勢って、机とまっすぐなんだけど、今の座り方だと、後ろにちょっと下がってて、一文字目が奥に角度がついて圧縮されて見えてるから、実際は想像以上に縦長になってる」
そうして背筋を伸ばして正座をした。
遊びの中で学ぶように、好きな言葉を書いて試して、一つずつ手順を踏んで整えていく。そういうところが見ていて面白い。
夫は夫で『全力』と書き出していた。今年は珍しく抱負を早速決めて、練習ではなく本番を始めているのだなぁ、と様子を伺っていたところ、
『全開』
と続いた。
ああ。練習だった。ゼンカイジャーだった。
夫は『全力全開』と書き切って言った。
「抱負としては悪くないけど、全が隣同士に二つ続くのがバランスが落ち着かない」
そうして、新しい半紙を手に取った。ここにも試行錯誤が見える。二人とも適度に力を抜いているというか、真面目に遊んでいるというか。型に囚われないなとつくづく思う。
再び娘の方へ向き直ると、
「二文字って一文字目がバランス取りにくい」
その手元には『龍』の文字があった。止めハネ、払い、力の入れ具合と抜き具合のバランスがとてもいい。
「いや、大丈夫、それでいい。二文字目を思い切って大きく書いたら、大きさが揃うから」
すぐ下に綴られる、『騎』の一文字。
「すごいなぁ、かっこいいなぁ、筆裁き」
「煩悩が湧き出てくる」
「いやあ。煩悩を書いて消してるんだよ」
夫の方をチラリと覗き見ると、『星のカービィ』と書いていた。二人とも題材がフレーズではなくタイトルになってきている。
筆遣いが綺麗だった。墨で文字を書くという点ではもう十分及第点を越えているように見える。夫も娘も、二時間ばかり硯に向かい、半紙とお手本とにらめっこしながら、半紙に筆を滑らせていた。
筆を走らせるその筆先の動きが、見ていて気持ちいい。筆先から描かれる文字の強弱と、緩急と、柔らかな流れが心地よくて、つい見ている。
「抱負をどうしよう」
なんて迷っていたかと思えば、お茶を飲もうと私が台所へ行って目を離した隙に、娘は抱負を書き終えて、タブレットで動画を流してくつろいでいた。
「書けたの?」
「うん。読める?」
「読めるよ、……意味はちょっと分からないけど」
「これはタロットカード」
「へえ」
自分と静かに見つめ合うという意味もあるのだと、娘は教えてくれた。過去の自分の行いから様々なことを観察し学び取り、今と未来へ活かすそうだ。夫もまた、自分自身に対して応援をするような、新たな抱負を墨で描いていた。
私は自分になにを願おうか。
今年は先々のことを考えながら、物作りを積み上げていきたい。実らせるための準備期間にしたいし、絵を描く練習もしたい。
水滴が石に穴を穿つくらいゆっくりでもいい。地道に。自分の速度で。時には投げ出して、渋々拾いに行って、休憩しつつも続けたい。
思いついた文字を、半紙に写し取っていく。
せいぜい集中力が持つのは30分程度。何枚も練習を書くことは出来ない。
力加減を考えて、筆を止める度に、墨を含ませる度に深呼吸をする。なるべく集中してと言い聞かせていく。深呼吸をしながら、文字の流れる方向を考慮しつつ、一文字目を描く。
一気に横へすうーっと伸びる。
二文字目。門構えを描く。縦棒をすうっと。奥から手前へ伸ばして、とんと筆先を置く。力を程良く抜いて、のびのびと。筆運びにはリズムがあるのだとイメージする。
点を打って、左下に力を逸らせて筆先をサッと抜く。その下にごく短い横棒。右上からの筆運びを受け取り、左側から右側へ。文字の流れに沿って筆を運ぶ。
きっちりと描くことよりも、筆で遊ぶつもりで書いた。筆と墨で書いた文字を眺めていると、文字は絵でもあると、しみじみ感じる。
今年の私に託すものは、来年の今頃、どこまで形になっているのだろう。自分との約束を守れるのかどうかは、やってみないと分からない。まずは考えることに意義がある、などとのらりくらりとしながらも、少し緊張もしつつ、硯や半紙を片付けている。