初春の筆に想いを含ませて、墨を半紙に馴染ませていく。
毎年1月2日は書き初めをしている。
一年の抱負を込めた言葉を幾つか選んで、硯と半紙の前に座わる。夫と娘が、それぞれ、
「本番の前に練習」
と述べて書き出したのが、『ご唱和下さい』と『滅亡迅雷』である。
「せっかくだから練習の本番も書こう」
そう言いながら、二人とも三枚ほどずつ書いて、
「良く書けた」
と満足そうにしていた。
我々の書き初めは、書く内容も気ままなら、書き順もまた気ままで、全体的に緩いルールに則っている。例えば、彼が軽く首を傾げて、
「馬ってどう書くんだっけ。どうもしっくりいかないのよね」
と娘に尋ねると、
「たてよこたてよこよこって書いてる。でも私も書き順適当」
と返ってくる。
「最初のたて棒がここのぐにょーんて折れ曲がる所とつながったりしない?する?」
二人の会話の脇で、私もスマートフォンを操作してインターネットへ問いを投げかけた。
「たてよこたてよこよこぐにょーん、だそうですよ」
検索結果を報告すると、彼はその通りに筆を何度か運び、釈然としない顔をした。
「なんだか筆の勢いが止まってしまうのよね。いつも最初のたて棒から、ぐにょーんってなってる所に繋げて書くのが気持ち良いから」
「ああ、じゃあ。気持ち良いの優先でいきましょう。王様の王の下が飛び出しているのを書いてから、左のたて棒と、ぐにょーんってなってる所をつなげたらどうですかね」
私がそう言うと、試しに二三度書いてから、
「これなら何とか成るかも」
と頷いた。
書き順というものには、おそらく理由がある筈だった。形が一等綺麗に見える書き方だとか、もしかすると言葉の意味合いから設定されているのかもしれない。因みに私はなるべく書き順の通りに書きたい方である。
けれど、興味が削がれたり、好奇心が薄くなるくらいなら、型はある程度、横に置いといて良い。正しい書き順で実際にやってみた上で、楽しみが減る感覚が手元に残ってしまうのならば、今まで使っていた書き順を活かしたやり方でやればいい。点数の付く勉強であっても、つまらなくなるよりは変わった書き順のまま、漢字を書くことを面白がっていればいいと思う。
二人が黙々と楽しそうに筆を走らせる傍らで、私はまだ言葉を決めかねていた。
過去に自分が選んだ書き初めの中では、『上昇気流』が気に入っている。なんだかご機嫌な感じがいい。去年は『慎始敬終』だった。つい慌てて失敗することが度々あるので、謙虚に慎ましく落ち着いた気持ちで人や物事に取り組みたかった。
今は、どうしたいだろう。
分からないな。全然思い浮かばない。
筆に墨を含ませ、半紙を見つめる。『一番星』と試しに書いてみた。
夕暮れと夜の間に輝く星は、宵の月ほど目立たないし、寄り添う訳でもないけれど、見つけるとなんとなく嬉しい。見つけられる人に見つけて欲しい、そういう気持ちは持っている。けれど、抱負かというとしっくりこない。
『花開く』と筆を走らせる。
なんだろう。表現したいことと字面が噛み合っていない気がする。どこが違うのだろう。
何かを作って形にして残していきたいという想いを花に喩えるならば、咲きたいように咲けばいいと自他共に思う。だとすると、花が開くというよりも、実を結ぶのが近いだろうか。
『結実』の二文字を思い浮かべる。首をひねった。まだしっくりこない。
『跳ぶ』『跳ねる』『跳躍』『飛翔』。連想していく。もうちょっと具体的なイメージが欲しい。物事が咲くとき、実るとき、なにが大事になるのか。
ふと、二つの文字が浮かんだ。
『磨く』
地道に行い続けた先にあるもの。そして、続けたという証になるもの。磨くとは、研くでもあり、結果が出るか否かは問わず、ただ自分が目指すもの。
私は見本を左手側に置いて、半紙の上に筆を運んだ。一画目の点を打ち、二画目のよこ棒を引く。横棒であって一ではないからなのか、終わりの留めは心持ち上を向いている。見た通りの線のしなりが欲しいのに、書くと固くてまっすぐになってしまう。特に行書は力の抜き加減が分からない。
自分の手元とお手本とを交互に見比べながら、林の部分の三画目は左下から右上へと払って右側の横棒に直結するけれど、線の引き終わりか半ばのどちらで筆先を抜けば伸びやかに見えるのか、と尋ねるように考えて、留めて、払う。
何度も同じ偏を書き、つくりを書いた。同じ動作を繰り返しているつもりでも、一度たりとも同じ線にはならなかった。書く度にげんなりしていく。けれど、そのズレが僅かに修正される度に、少しずつ集中していき、周りの音が気にならなくなっていった。
硯に5回くらい墨汁を継ぎ足して、漸くそれなりの形になった。正直なところくたくたで、すぐさま部屋の隅のクッションに倒れ込んだ。楽しむ余裕も遊び心を発揮する余裕もなかった。
他方、娘は本番を仕上げた後に、追加で『馬力』と『えくすかりぱぁ』と書いていた。相変わらず楽しむ達人で何よりである。
今はどうしたいのか。明確な回答はまだ見つからないけれど、書いたものと気持ちとの距離はそれほど離れていない気もする。そんな風に思いながら、半紙に馴染ませた言葉を今は眺めている。