お薬の話。

毎日、ラムネを食べるような気軽さで薬を飲んでいる。


キッチンワゴンの上に薬のシートを広げて、飲み忘れがないか、数を勘定して確認しいていると、夫が通り過ぎざまに言った。

「ショートカットで薬を一杯飲んでたら綾波レイみたいだよね」

「その理屈だと世界中の人が綾波レイじゃないか」

「そんなことないよ。結構絞られるよ。生半可な量じゃだめだよ。あなたくらい飲んでたら綾波レイになれるよ」

私は親指の腹で銀色のシートを押して、赤やピンクや雛色や白の色とりどりの錠剤を掌に乗せて眺めた。形は綺麗な左右対称で角が丸く、極小サイズの文字記号が刻まれていて、丁寧な仕事が施されているなあとしみじみ思う。
表面はツルツルしていたり、ざらついていて擦ると欠けそうだったり。薬効成分が胃で溶けるか腸で溶けるかで、薬をコーティングする素材が異なるとも聞いた。

私は薬をあおって白湯を口に含んだ。

「いっても、胃腸薬とかありふれた薬ばかりだよ。ホルモンの分泌量を変えたりもしないし、生命維持に関わる成分もない」

例えばね、といくつかシートを指さす。

「こっちのビタミン剤は月のもののイライラに効く。丸い方のビタミン剤は皮膚の色素沈着を取ってくれる。私が飲んでる中でちょっと強めなのは、この丸い胃腸薬くらい。あとは、腸の薬と消化を助ける錠剤と、抗アレルギーの薬が二種類」

そうして時々、抗ウイルス剤と痛み止めが、たまの休みにおばあちゃんの家に遊びに来る孫のような頻度で追加される。

「へえ、知らなかった。ビタミン剤も色んな効果があるのね」

彼は感心したように応えた。

世の中には本当に色んな薬がある。一番インパクトがあったのは、苔のような緑色の、ドロリと粘り気のある溶けたスライム的な液体だった。消化器官の粘膜を保護して機能の正常を促す薬で、彼は私がそれを飲んでいると、

「海外の映画によく出てくる未来の食べ物みたい」

と面白がっていた。


最近も、

「追加で処方された薬の副作用で頭痛がするから替えて貰う」

と私が話していたら、

「妻は最近髪がエアリーだよね。薬の副作用じゃない」

と言い出した。

「毛根に作用して、その薬飲んだら、皆ふわふわになるから、飲んでるって一目でわかる」

そう茶化して続けるので、一応、想像してみた。巷にはゆるふわパーマの人は結構居る。少し色を入れていたり。カラーもパーマもしていない人の方が若干少ない気もする。

「むしろ紛れて分からないんじゃないの」

「毛根に効くなら、美容業界にこそ浸透すべきだよね。そうかあ、薬でふわふわになるのかって」

「そうねえ」

わざと真面目そうに言うので、私もつい苦笑した。


ここの所、夜中にソファーで微睡むことが増えた。

一昨日はダイニングキッチンをペンギンのようにぺたぺたと歩きながら、なんとなく二往復したところでソファーに腰掛けた。取りあえず文字でも書くかとスマートフォンを手に取り、指先で撫でて、ドキュメントファイルを開いて文字を打ってはウトウトしている。

寝付けない心当たりはいくつかあった。そうして、解消されないまま増えていく。言い出せないことが増えていく。

テキストをずっと追いかけて貰えている方はお気付きかもしれないけれど、私には精神疾患がある。割と昔からのもので、例えば急にしんどさがこみ上げてきて涙がこぼれる。

それを何年も掛けて自力でなんとかしてきたけれど、訊かれていることを頭の中で整理して、意味を理解して、返答を選択するのがすごく疲れると感じるようになってきたので、そろそろ先々に備えてお医者さんに話を聞いて貰う頃合いかと思い、梅雨の晴れ間のカラッとした日に診て頂いた。

考え事をしているうちに、重苦しく悲しい気持ちがふっとほどけて、けろりと楽になることや、外側の自分と内側の自分を用意している事などを伝えて、薬を処方して貰っている。

一時期、それはもう、感情の蛇口が壊れたように、よく泣いていた。

診療所に初診の打診の電話をかけて、電話口の受付のお姉さんに話しかけるだけで涙が止まらず、心の状態を大まかに説明する間中、涙声になった。

医者にかかっているのは、人との関わりの中で「残念な気持ちで諦めて立ち止まってしまわないように暮らすには、どうするのが適切だろうか」と、やり方を模索し続けるためだ。

症状に名前がつけば、過去の症例に従って治療方針が組み立てられるという利点がある。心の疾患も風邪も、私にとっては大差ない。不便な部分もあるけれど、病変もまた、私から生じた私の一部である。人から「前向きね」と言われる割に抑鬱を持って暮らしてきた、その心や体の状態に名前が付くだけだった。
「病気だから」といって、不幸なわけでも幸福なわけでもない。大富豪でもど貧民でも私は私であり、綺麗に着飾っても中身は何も変わらない。何事に於いても、「私とはそういうものである」と思っている。

今飲んでいる薬のことを調べていくと、自分の体のことが少しずつ見えてくる。物忘れをしてしまったり、人と感じ方が違っていて、その差を埋めて追いつこうとしていたり、耳から入る情報が処理できなくて、文字にすれば理解できるからと、会議中にメモを取り続けるといった、妙な生きづらさの理由とは何だったのかというのも、憶測にすぎないけれど、いくつか薄ぼんやりと見えてくる。

世の中には様々な症状で悩んでいる人がいることや、向精神薬と一口にいっても、不安障害や気分障害などの分類ごとに効く薬が違っていて、脳の情報交換の解明というのは、自律神経系にしてもだけれど、まだまだ未知の部分が多いのだと感じる。
「性格の問題」の一言で片付けられてしまいがちな茨の道を、科学という名のナイフで地道に切り拓いているのが、精神科医のお仕事なのやもなと思うなどする。


今に至るまで私がしてきた工夫は、心を二重構造にして、外側に盾を作ることだった。新しい薬は鎧を身に付けている気分になる。

鎧の材質は鉄ほど強固ではなくて、石灰やラムネを固めたようなものかもしれないし、繭のようなものかもしれない。鎧でもあるし、ギプスのようなものでもある。

心体を動かせるかどうかは、心の在り方に掛かっているところもある。「これくらい気持ちが安定しているのなら、小さなアクシデントにもふらつかずに立っていられる」という感触を学び取るために薬を飲んでいる。悲しみを認識しながらも、心が悲しくならないで済む逸らし方が理想なのだ。

長い道のりを振り返ってみると、半年か一年毎に物事が大きく動く。この先も同様にその筈だ。

一時期、私はとてもへこたれてしまったが故に、今、今日と明日の自分を支える方法を再構築している。そうして、自分の特性と上手くつきあっていくためにお薬に助けて貰っている日々である。

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もちだみわ
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