腕相撲必勝法?
他流試合開始
高校生二年生の頃、水泳部だった私はクロールの腕の動きと腕相撲の腕の使い方が、似ていることに気が付きました。
(腕相撲、勝てるかもしれない)
当時、私の体重は64キロ、身長170センチ。
クロールの水をキャッチする腕の動きが、どこまで腕相撲に通用するのか試したくなりました。
学校の中で他流試合を始めました。
最初の相手は柔道部
最初の相手は、同じクラスの柔道部。体重100キロ近いヘビー級。
背は私より低めなのに、ドラム缶のような体格をしています。胴体も腕も太くて、スポーツ刈りの髪型だけが私と似ています。
相手は私の挑戦を「ああ、いいよ」と、軽く受けてくれました。丸い顔に笑みを浮かべています。
教室の机で、お互いに腕をくの字にして構えました。みんなが周りで見守っています。
私には秘策がありました。
「勝負」
一瞬で相手の腕を押し倒しました。
「え、なんで」
相手は怪訝な顔をしました。信じられないと、首を振っています。教室の中は歓声で沸き返りました。
(水泳部を舐めんなよ)
私は少し自信がつきました。
次の相手は剣道部のキャプテン
私は次に剣道部のキャプテンに目を付けました。
「やろうぜ」
彼も同じクラス。体格は身長182センチくらい。体重は80キロはあるでしょう。均整がとれています。人柄はいたって温厚。誰からも好かれるタイプでした。
彼は私と柔道部員との試合を見て、楽しそうに笑っています。
「へえ、やるじゃん」
彼は不敵な笑みを浮かべていました。
(笑えるのは、今のうちだ)
私は柔道部の相手から学んだ作戦を発展させてみました。
お互いに腕を掴んで、肘を机に付けました。
私は剣道部のキャプテンの目を見つめました。私が号令。
「いくぞ。よーい、ゴー」
相手の腕を机に叩きつけました。私は進化していました。
剣道部のキャプテンは口を半開きにしています。どうして負けたのか混戦しているようです。
次の日、ほかのクラスから我が教室に入って来た野球部のピッチャーに、私は声を掛けました。
野球部のピッチャーに挑戦
もうこの時には、私の頭の中では作戦が確立していました
野球部の彼は剣道部のキャプテンに負けぬ体格をしています。学生服のズボンは太い足腰でぱんぱんに張っていました。
私の挑戦に、彼は天然パーマの頭で頷くと、椅子に腰をゆっくりと下ろしました。
「腕相撲なんて、小学校以来だなあ」
ピッチャーは懐かしそうに独り言をつぶやいています。
腕を掴み合いました。クラスの者たちが見ています。
相手の自信たっぷりな顔。
「せえので、やりゃあ、いいのかい」
「そうだよ。じゃ、やるぞ。せえの」
私は一気にピッチャーの腕を押し倒しました。
ピッチャーは土俵際でぎりぎり持ち堪えています。顔が真っ赤になっていました。
私は腕に体を寄せると、全体重をかけました。とどめです。
相手の腕は持ちこたえられず、机にべたっと付きました。
ピッチャーは、ホームランでも打たれたように悔しそうな顔をしていました。
空手家と勝負
私は次々と勝ち続けました。全員私より体格は上です。水泳の力は偉大だと思いました。
唯一、私とほぼ同じ体格の相手がいました。
相手は空手家です。いわゆる高校の空手部ではなく、町の空手道場で黒帯を取ったタイプです。
道場は有名な道場でした。寸止め派の流派で、たしかマンガ「空手バカ一代」に出でくる道場です。
色白の彼とイスに座って向かい合いました。
お互いに静かにそっと腕を出しました。おだやかに呼吸を合わせます。
体格は同じでも要注意の相手です。彼は教室のすみで、私の今までの対決を見ていましたから。
空手の突きと水泳のクロールでは、腕を内側に回すのは同じでも負荷が違います。
私は集中し、「うっ」と、一声。
一気に勝負をつけにいきました。手前に巻き込みながら、最も力と体重をかけやすいポジションを取りました。
相手も気合を発しますが私の方が一枚上手でした。私は体を丸く縮めるようにして、内側に引き寄せて押し倒しました。
空手家は腕をさすりながら感心しきりでした。
「お前、うちの道場に来ないか」
空手を誘ってくれたのです。
以後も連戦連勝で、9連勝。私は、つい有頂天になっていました。色々なクラスを周りました。
ところが、自分のクラスに、思わぬ天敵がいたのです。
天敵は陸上部
陸上部員。とはいえメタボ気味。
どうみてもランナーの体格ではありません。
柔道部員ほどではないものの、体は手も足も腹も太めで、走るのにはとても向いていないような体つきです。
一体何の競技だろう。
彼はわが教室で、いつも目立たず大人しく、感情を顔に出さないタイプでした。大げさに言えば、笑っても泣いても同じ顔。額が妙に広くて、歳を取ったら髪が禿そうでした。
私は少し舐めていたのかもしれません。この程度なら、柔道部や剣道部の奴の方が強そうだと思っていました。
私はめぼしい相手がいなくなったので、彼に声をかけたのです。
彼は自分の胸を指さして、「僕が相手でもいいの?」と小声で返事。とても控えめな態度でした。どうみても闘争心は見えません。仕方なく付き合ってくれた風でした。
私は今までの強敵よりは弱いだろうと見積もっていました。なにしろ陸上部です。リレーのバトンより重い物は持たないだろうなんて、軽く考えていたのです。
(足腰は強いだろうけど、水泳の鍛え方とは違う)
私は余裕で構えました。
相手も肘を机に付けました。幼稚園の園長先生のような優しい顔をしています。ちょっと高校生には見えません。どうみても、勝負事には向かない顔でした。
お互いに向き合いました。
私には妙な違和感がありました。
(なんだろう、この感覚)
原因がわかりません。今までの相手とは何かが違います。理由が分からぬままに勝負に入ってしまいました。
「いっせのせ」
私の肘が、一挙に宙に浮いてしまいました。
頭が混乱しているうちに、私の宙ぶらりんの腕が机に叩きつけられました。強烈な力でした。
(お前、本当に陸上部かよ)
9連勝して私はついに負けてしまったのです。
相手は私に勝っても嬉しそうな顔をしていません。「じゃあね」といって、自分の席に戻ってしまいました。
呆然としている私に、友達が囁きました。
「あいつは、砲丸投げだよ」
ようやく分かりました。違和感の原因が。
肘から先が、なんと私より4センチほど長いのです。そのために、お互いに引き付け合う中で、私の肘が簡単に浮いてしまったのです。
彼は特別でした。最初から、私は不利でした。
私の作戦を紹介
腕相撲をしながら悟った私の必勝作戦を紹介します。
① 力の土台
体力。水泳、特にクロールの泳ぎは、意外と腕相撲に使えます。水をキャッチするときの動きが、腕相撲でも有利なのは発見でした。
それに水泳は全身運動なので、バランスも良かったと思います。
② 体を卵型にせよ
体の構えも重要です。
組み合って構えたときに、体全体を卵の殻のようにすることです。体全体を丸く曲面にして、相手の圧力を受け止めるのです。
これならば、相手の圧力を受けても姿勢は簡単には崩れません。
椅子に座っているのですから、地面との関係では直線的なつっかえ棒の姿勢はとれません。それでも丸い姿勢で相手の力を足もとに流すのです。地球とケンカさせるわけですね。
地球を味方にした方が、有利というわけです。
③ 互いに握ったら、完全に脱力せよ
相手との接点は手の平です。この手の平の感触から互いに力を探ろうとします。
私はここで、わざと脱力します。相手に当方の情報を与えないというのが目的です。これで油断してくれれば、めっけものです。
まったく力が抜けて手ごたえがないと、相手はどの程度力を出したらよいのか戸惑います。このとき、相手の集中力は、本人が思っている以上に落ちてしまいます。そこが勝負です。
通常は互いに手を合わせると、手の平にそこそこ相手の力を感じるものです。そこで「おっ、こいつ強いな」なんて思うわけです。ところが、まったく手ごたえがないと「こいつ、やる気があるのかい」とつい迷ってしまいます。迷わせれば、この作戦は成功です。
次の作戦で、とどめをさすのです。
④ 心技体、全てを集中せよ
いざ勝負の時に、相手は腕相撲だから腕力の勝負だと思っていることが多いです。先入観ですね。
当方はというと、足の先から頭まで、腕の一点に体重と全体力を集中させようとしています。
全身を動員するものと体の一部しか使わない相手。
筋肉が100ある相手に当方が50の力しかなくても、戦いのときに当方が50に対して、相手が体の一部30しか使えなければ、当方の勝ちです。
総動員体制がつくれるかどうかということです。
⑤ 一瞬に全てを賭けよ
本当の勝敗を決するのは時間です。
私は一人目の相手で悟ったのです。先ほどの体力の総動員を、作動時間に置き直してみましょう。
短時間で体力を総動員した方が勝ちというわけです。
相手の力が100、私の力が50だとします。
でも、相手がフルパワーになるのに1秒かかるとして、私が0.1秒でフルパワーになるとします。0.1秒では、相手はまだ10の力しか出せません。私は50でます。
0.1秒に全てを賭ければ、勝てるというわけです。それが柔道部員との第一試合だったのです。相手はなぜ負けたのか分からず、当方は勝った理由を悟った試合でした。
以後、この集中力で勝ち続けることができました。60キロそこそこの体重で、80キロから100キロ近い相手を一瞬で葬ったのです。
⑥ 呼吸法は2種類
もちろん、呼吸法もあるでしょう。
呼吸はまず勝負の瞬間に、「はっ」と気合を発します。空手と同じでしょうね。けっして全ての息は出しません。丹田に力が走ればいいのです。
一方、肺には7~8割の息が残っています。
肺が小さくならないこと。これも体幹力の維持に大切です。さらに、息のストックは長期戦への備えでもあります。
水泳選手は、実はこの『部分呼吸』が得意なのです。
肺の一部のみ、息継ぎでガス交換するだけで泳ぎ続けます。肺の空気を浮袋として活用しているわけですね。
浮力が大きいと、水の抵抗が少なくて、速く泳げるわけです。
⑦ 腕のポジショニング
競い合っている時の腕の位置も大切です。手前に引き寄せ巻き込み、自分側に近づけることができれば、全体の体重と体力を上からかけることができます。
反対に相手側に腕が倒れると、腕は体から離れて、自分の体重をかけることができず不利となります。
このポジションの取り合いが、まさに駆け引きですね。
ポーカーフェイスの相手は要注意
これらの作戦は、しかし最後の相手には通用しませんでした。
表情の少ない陸上部員は、実は策士だったのかもしれません。
今になって振り返ると、闘争心も緊張も見せない相手の顔は、それが試合にのぞむ時の彼の流儀なのでしょう。
彼なりに勝算があったのかかもしれません。腕の長さの分、絶対的に有利だと。つまり『てこの原理』を応用できると。
それにしても、肘が浮いてしまうと腕相撲になりませんね。
腕の長さだけは、合わせるか、肘を机に付けることをルールにするか、左手で右肘を上から押しつける方法をたがいにとるか。難しい問題ですね。
他流試合のその後
私は彼に負けてから、腕相撲をやめました。
身近に、どうやって勝ったらいいのか分からない相手がいると知ってから、他流試合をする気になれなくなったのです。
陸上部員は、試合後、喜ぶことも誇ることもしませんでした。実はしたたかな男なのかもしれません。腕があんなに長いなんて、目立たぬ相手ではあっても逸材だったのかもしれません。
砲丸投げの選手は、水泳の天敵というわけです。
まあ、何十年も前の話ですから。
でも、悔しいなあ。あいつ、今、何をしているんだろう。
私はというと、高校卒業後は、空手家の誘ってくれた道場に通い始めました。自由組手が面白過ぎて、腕相撲のことなんか忘れてしまいました。
そういえば、誘ってくれた空手家は、色々と忙しいかったのか、一度も道場に顔を見せたことがありませんでした。
彼、本当に黒帯なのかな。
私の前で強がっていたのかもしれません。私をひびらせる彼なりの作戦だったりして。