「人類は一つ」この単純な根拠は、算数の中にある
1 自分に関わる無数の人々
自分の中に無数の人々の血が流れ込んでいる。たどっていけば、人類的な規模になっていく。
ご先祖様と言えば、家系図を連想する人もいるかもしれません。家系図というものは、図形的には直列的ですね。
つまり、一部のご先祖様しか、掲載されていません。
いくつか枝分かれしているとしても、樹木の幹を直線的に、さかのぼったものです。
ところが、単に血筋との関係では、さらに家系の周辺に無数の人々がいるわけです。
これは、単純な算数の式で、証明できます。
2 単純で普遍的な根拠
速い話が、両親は二人います。
当たり前の話ですが。
両親の両親は四人。お爺ちゃん、お祖母ちゃんですね。当然です。
両親の両親の両親は八人。そんなことは、当たり前だ。
ところが、この調子で、たどっていくと、2×2×2×2×・・・・・。つまり、自分に関わるご先祖様は、2人、4人、8人、16人、32人、64人、128人、・・・・・・と、暗算の限界を超えて、どこまでも広がっていくわけですね。電卓に頼ったりして。
3 時間と空間を超えて
過去へ過去へ、近代から中世、中世から古代、古代から原始の時代へと、縁者は増え続けていきます。
日本は島国といっても、大昔は大陸の一部でした。島に分離しても、海を越えて、人々の行き来と交流は続いていたわけです。
こう考えると、ご先祖様はどこまでも果てしなく広がり、結局、『人類はつながっている』と言えるほどの数に、なっていくのではないでしょうか。
4 昔を知りたがる欲求の源
歴史に興味を持つ。
ルーツを探る。
歴史上の人物に共感を持つ。
時代小説や歴史読み物を楽しむ。
歴史や時代をテーマにした番組を見る。
無名な人の名に関心をもつ。
史跡を訪ねる。
両親や親戚、祖父母に昔の話を聞く。
などなど、この昔を知りたがる欲求は、単なる好奇心や気紛れではないのではないか。自分の心の、もっと奥の深いところから、出ているのではないか。自分の意識、無意識、超潜在意識。さらには、遺伝レベルで、知りたがる欲求の源泉があるように思えてならないのです。
5 不思議な共感と閃き
もちろん、「過去を知ることは、今の自分を知ること。今の自分を知ることは、未来の生きていく道を知ること」
でも、このような考えを自覚しなくても、旅行で見た風景がどこかで見たことがあるような妙に懐かしさを感じたことがありませんか。初対面なのに意気投合して、びっくりするほど話が合ったことはありませんか。なぜか、古い写真集に魅せられたり、惹かれたりしたことがありませんか。
6 創作が新たな体験に
私の体験を一つ紹介します。
「小五郎伝」という歴史小説を書いていて、ある人物を創作しました。誰かは申しませんが、物語の展開上、重要な役割を与えていました。その名前は直感的に決めたものでした。
江戸時代の想定ですから、地位も含めて、これならリアルかなと架空の人物名を設定したわけです。
作品をかき上げた後のことですが、ある日、何気なく我が家に繋がる家系図の資料をめくっていました。あるページに目が釘付けになりました。
なんとその中に、作品に使ったあの名前が出て来たではありませんか。
時期も同じころです。
家系図のフローチャートのように線で繋がる名前と名前の間に、その名前があったのです。
もちろん、ほかに記録はありません。
その方が、どのような一生を送ったのかはわかりません。泣いたり笑ったり、働き、生活し、子供をもうけ、亡くなる。そうした一生が、名前だけからでも感じ取れます。
私の物語の中に、その名前が勝手に復活してしまいました。
その名前をなんで思いついたのか。未だにまったく分からないのですが、創作していると、そんな不思議な経験をすることもあるのでしょう。
7 否定的な見方を超える楽観主義
もちろん、一方では、個人主義的な考え方もあるでしょう。現実主義、物質主義、科学主義、様々な思想があるわけです。ご先祖なんて、関係ないという考え方もあるでしょう。
でも、先祖が、2×2×2×・・・・と広がっていくという算数的な事実は、否定できない単純明快なものです。
この事実の自覚と考察と尊重があれば、世の中の争いごとは、もっと少なくなるのではないでしょうか。
あまりに楽観的な考え方ではありますが、2×2×2×・・・・の算数理論の意味を、ときどきでも考えてみることは、大切なことではないでしょうか。いつの間にか、人類の捉え方が変わったりして。