見出し画像

自分のことをどれだけ書けるかやってみたーその7

羊です。
このシリーズ久しぶりです。

実は円形脱毛症だという自分について書いていたのですが
消してしまいました。

時間を見つけては数行を書き足すということを繰り返していたのですが
気が変わってしまいました。

で、何を書こうかと改めて考えています。

息子と毎日一緒に家にいるのですが
自分の時間がもてない…
のでいろいろできません。
そんなわけで夜、寝たあとが唯一のフリータイム。
けれどわたしも眠い…。
まるで
新生児の頃に戻ったような生活です。

本当はこの機会に勉強したいんですが
なかなか難しいです。
自分1人だったら、あんなこともこんなこともやれたのではと最近は思います。
ただ、後悔とは違います。
なんとなく、そう思うのです。
今、やりたいことはあの頃のやりたいこととは違うのです。
だから、なんというかノスタルジーな感じです。

子育てして、仕事して、家事炊事もしてとこなしている世の女性は本当にすごいと思います。
わたしは正直、辛いです。

まず、掃除は苦手。料理は嫌い。
仕事に熱中すするほど体力もなく、
できるならば
ひたすらに映画を観て感想を書いて、
何か思うことをつらつらとこうやって綴って、時々、外に出て…みたいな生活がしたいのです。
そんなもんだから、
基本的に生活をしていくことが不自由なのです。

たぶんもって生まれたわたしの考え方のベースみたいなもので誰のせいでもない。
だから、誰かを責めることもない。
孤独を味わいたいのかもしれない。
と、今日もぼんやりと自己分析です。

先日、気が利かないと文句を言われました。
あんまり言われるので
もう、疲れてきました。
何を話したらいいのやらな状態です。
毎日、否定されると
自分はそんな人間だと思ってしまい
そんな行動をとってしまうものです。
悪循環です。
心が動かなくなってしまいます。
どうせ何をしても評価されないのならばと
自暴自棄もいいところです。

幸せで前向きな人はいるのでしょうか?

普段から話し相手の基本は息子なので
急に人と話さなくなったとか、
そういったストレスはないのですが
なんというか
こもっているものが溜まってきた感じです。
とは言え
息子の散歩に毎日、付き合っているので
どうしようもないことはないです。
実は健康的に過ごしてはいるのです。

この世の中に対して純粋に心を痛めている自分がいる反面、
何か底知れぬ闇を抱いている自分もいます。

どちらも自分なのだけれど
ダークサイドは出てこない方がいい。
そう思うのです。

いろいろ気にしすぎてじんましんが出る勢いです。

と、今回も訳がわからない感じです。

最前線でなにもできず
静かに後方にいることもできず…
やれることと言ったら
自分が人に迷惑をかけないこと。

こんなとき、もっと勉強しておけばよかった。となんとも言えぬ罪悪感がやって来ます。
人にはそれぞれの役割がある。
だから今できることを精一杯やる。
そんな風に思ってはいますが
というか、自分、何様?な感じですが
誰かを救いたい。
何かの力になりたいと思うわけです。

実際、思っているだけでわたしは何もしていない。所詮は薄っぺらい正義感。
恥ずかしい。
ぐだぐだしてるなら何かすればと
遠くから見ている自分が言っています。

でもできない。

そこがわたしがわたしで今ある現実。

行動の制限に静かに耐えています。

けれど
思考は誰にも止められない。

やはり自我が強いのだろうか。

何に耐えればいいのだろうか?というか何で耐えねばいけないのか。
わたしが今、ここにいる以上、わたしであってどうしていけないのか。
自分を正当化したいのではなく
自分を自分として認めていたい。
そう思うのって
自己肯定感がそこそこ高いのでは?いや、もはやプライドの塊。

と、こんな実もないようなことを考えて生きています。

きっと、今の世の中が正常に動いていたとしても、どこかで同じように考えあぐねいているのでしょう。

以前テレビで、禅寺で修行されているお坊さんの日々を描いた番組を見たことがあります。
行動の全てが作法。意味がある。そして決まっている。それを繰り返すことが修行。
そして壁に向かい座禅。
ただひたすらに繰り返す。
それはそれは厳しいものでした。
煩悩の塊となっているわたしには苦痛にも見えましたが、もしかしたら楽園ってそんな場所かもしれないとうっすら思う自分もいました。
禅というもの自体、仏教についてわたしは詳しく知りません。
けれど、いつの頃からか苦しみも幸せもあってないものかもしれないというぼんやりとした自分のベースがあります。行き着くところは無。だけれどそこには在るがある。というような螺旋階段のような意識のなかに片足を突っ込んでいます。
これもまたただ、思っているだけで何かアクションを起こしているわけではありません。

こんなことを考えている人は他にいるのだろうか?
それとも、誰もがみんな同じように考えているのだろうか?
意識すべきはきっと頭ではなくて腰、骨盤辺りなんだろうけど、そこから意識を広げていくことができてない。そんな気がします。

一体、何の話なんだ。
そうだ、ここはわたしの話だ。
と混沌を淡々と書き綴っています。

まだまだ
日常とは違う日々が続くけれど
これがやがては日常になり
かつてが非日常にでもなったりしたら
一体、世界はどうなるんだろう。
もう、根本の価値観が覆り
適応していった人たちが生き残っていくのだろう…
なんて未来に不安を抱きながらの毎日です。

本来なら
今、こうして少しの不自由で過ごせていることに
社会を機能させるべく
選択肢なく働いていらっしゃる方々に
そして医療関係者の方々に
感謝をしなければいけないのでしょう。

何もできないのでせめて家にいます。
散歩は人出の少ない午前中にせっせとしています。

と結局はこのことにたどり着いてしまう自分の思考の狭さ。

生きていることって当たり前じゃない。
だからこそ大切に。

そうは思っても
この過ごしても過ごしても
まだ終わらない感…

自分とも向き合えていないのかもしれないです。

こんな状態もまたわたし。

諦めず、時々、泣きながら
そして笑いながら
頑張っていくのです。

どうかあなたも健やかで
HAPPYが届きますように。

羊でした。



いいなと思ったら応援しよう!

羊
ありがとうございます。 サポートで頂いたお金は apple pencilを購入してイラストの勉強に励みたいです。