続・子どもの居場所、心のおきどころ
夏休み前の6月にこんなことを書いた。
今回も備忘録。
まとまらず、現状を呟くようなお話になっています。
交流級での予告なしの席替えをきっかけに学校に行きたくないと訴える息子さんとわたしの気持ちのお話。
結果としては担任の先生に息子本人の気持ちを代筆するという形で落ち着いた。
話したことで吹っ切れたのかその後は順調なスクールライフ
とはいかず…
それがこれから書くお話。
息子さん、ストレスや疲れが貯まってくると音に敏感になってしまうのだけれど、
とにかく騒がしいのが嫌になってしまったようで音楽の授業やら図工も支援級で過ごすことが増えてしまった。
ただ、いいタイミングで、近隣の支援級と合同でのふれあい運動会みたいなのが開催となり、それに向けて練習に励む毎日。
すっかり支援級での生活にシフトを切ったのか学校にはなんとか行っていた。
ふれあい運動会当日も張り切って学校に行ったのだけれど
帰ってきたら
「やっぱりいかなきゃよかった」
「疲れた。足がいたい。もう行きたくない」
となんだか不穏な空気に。
単純に疲れているだけかとその時は思っていたのだけれど、
日に日にネガティブワードが口をつく息子さん…。
こんな時は家で発散させてあげたいのだけれど家では家で、
酷く父親を怒らせてしまいゲーム禁止となってしまう始末。
全部の歯車が噛み合わないからもう空回り。
「1人になりたい」「いなくなりたい」と笑わなくなってしまう。
ちょっとしたことでイライラしたり、
ぼっーと反応がなかったり…
そんなんでまた、怒られたり…
ぎくしゃくぎくしゃく、わたしはなすすべなし。
情けない母で本当に申し訳ない。
我が家はこんな時にうまくコミュニケーションが取れればいいのだけれど
価値観がもう違いすぎるので、歩み寄ることができない。
結局はケンカ。
理解をしてもらうはなかなかに困難なのが現状。
どうしたって現状は良くないので、もう、息子さんには申し訳ないが
わたしができる範囲でのことになってしまう。
本音は休ませたかったけれど
家は家で休まらないので学校の方がましだと思い毎日、連れて行っていた。
けれど、やっぱりうまくは行かない
そんなある日のこと。
帰りが遅いので学校まで迎えに行ったら先生に連れられて出てきた。
お友だちと揉めたらしい。
うまくいかないときはうまくいかない。
事情を聞いて、2人で帰る帰り道。
何がいけないことなのか、どうすればよかったのか等々話ながらの帰り道。
彼の我慢が限界に来たのだろう。
わーっと泣きながら話し出した。
そして「もう、死んでしまいたいと」
人気のない夕暮れの帰り道。
公園の入り口のベンチに座って話をきいた。
ふれあい運動会の帰り道から急に意地悪なことを言われて、悲しくなったこと。学校で先生がいなくなると叩かれたり、悪口を言われたりしていたこと。そして、首を絞められた。と。
そうだったのか。そんなことがあったんだ。
首を締められたうんぬんは、先生からの報告は受けていたので事実ではなく、本当は胸ぐらを捕まれたという表現なのだけれど、本人からしてみれば怖かったのだろう。
休み時間など、ふざけて遊んでいて強く叩かれたり、投げ飛ばされたり、
子ども同士なら多少はあるだろうけれど、
息子本人はそうは受け取れず、苦しかったのだろう。
僕だけ、いつも叩かれる。投げられる。
もう、いなくなってしまいたい。死んでしまいたい。
うまれてこなければ良かった。
いつかはこんなことを言われる日が来るのだろうとぼんやりと思っていたけれど、まさか、こんなに早く言われるとは。
なんだろう。
わたしには重い言葉だった。
そうか。そうか。わたしも涙が出てきた。どうしてだろう。うまくいかない。こんな想いをしてまで学校って行くものなのだろうか。
ともあれ、あまりに現状が悪すぎる。
泣きながら帰って、家でも再度話をし、学校へも連絡。
息子自身がいじめられたと感じている以上、
何か対策をとらなければいけない。
学校側もすぐにそれなりに対応してくれた。
叩かれたり、意地悪を言われていた事実はあった。
なぜ、息子が意地悪をされたのか。
きっかけは息子にもある。
彼は口が達者なのだ。
何か言われたら、言い返してしまう。
高学年だとお構いなしだ。
つまりは1年生のくせに生意気なのだ。
それが原因で、もめることも時々あった。
息子の所属している支援級は学年が違う子がいる。
そして基本、みんな正義感が強い。
息子ができていなかったこと、
先生の話と違うことをしていること
そこが気になってしまった。
相手の子からすれば、注意をしていたらしい。
別に息子が嫌いだからとかというわけではないらしい。
先生の方からはそんな報告を受けた。
そして、休み時間や朝の時間など先生が不在の時は子どもたちだけにならないように指導員など、誰か大人がいるようにするという対応も受けた。
教室内の席も、互いが気にならないように配置を変えてみたりなど、
なにかと対応をしてもらえるようになった。
息子さんはひとしきり泣いて吐き出したので
翌日は行ってみると学校へ向かっていった。
捨てる神あれば拾う神ありではないけれど、
うまくいかないことばかりではない。
朝、息子を教室までおくったら
他のクラスに居る男の子が出てきて、日曜日に遊びたいと言ってきたのだ。
なんだ、ちゃんと友達がいるのではないか。
時間と場所を決めて、遊ぶ約束を初めてした息子さん。
ほっとした。
まさに、救世主。
あとは息子さんの気持ちが落ち着くのを待つだけ。
ふと、嫌なことは思い出すこともあるようだけれど
「今日は意地悪されなかったよ」といって帰ってくるようになり、
そのうち、クラスの子の名前がでるようになり、
一緒に何かをしただの、遊んだと話しをしてくれるようになった。
そんな6月、7月だった。
もう、重くて濃い日々だった。
わたしが思っていた以上に繊細で敏感な子だったと痛感した。
いや~子育て大変。
自分以外の人とのかかわりが増えてくる中で見えてくることがたくさんあって、軽々と越えられることなんてなくて、
とりあえず、いつもぶつかってみてから考える的な日々。
自分の体調不良もかさなり、本当に辛い時間だったのかもしれない。
振り返ると、嬉しいこともあったのだろうけれど、
わたしにはこの意地悪された事件が深く心に残っている。
夏休み前には面談があったり、息子のクラスがなる休み前に学級閉鎖で、そのまま夏休み突入。
荷物やら宿題やらを夏休みなってから学校に取りに行ったりとめったにない体験をしたりと、バタバタした感じで過ぎた小学校生活の前半。濃かった。
夏休みですっかりリフレッシュできたのか、
今は落ち着いて学校にも行けている。
音に反応して耳をふさぐこともしなくなった。
運動会の練習も嫌がらずに進めている。
きっとこれからも、いろいろとあるのだろう。
「6年間、ずっと小学校にいられますように」
七夕の短冊に息子が書いた願い事。
楽しいことばかりではないけれど、この先も、この学校に通いたい。
今のところ、そう思えている。
それだけで十分な気がする。
構えず、気楽に、何か起きたら、冷静に。
時々、泣いて、大いに笑って。
結局、できることは見守ることぐらいなんだと改めて実感。
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