幼稚園と療育の1年を振り返る
幼稚園が当面の間、休園となったので、少し、この一年を振り返ってみることにした。
まず、無事に年少さんが修了するということがこんなに嬉しいことだとは思いもよらなかった。
入園したはいいが正直、この日が来るのか分からなかった。
そう、彼にはたくさんの試練が待っていたからだ。
帰り道、オイオイと声をあげて泣き崩れることもあったけれど
笑顔もたくさんあった。
本当に頑張った。
その姿はまさに勇敢な戦士、そのものだ。
3年間彼と寝食を供にして、
集団生活というものが苦手であること
何かと神経質で過敏であること
甘えん坊で、不安が多いこと
けれど好奇心旺盛で
愉快で優しいこと
など、わたしが感じている彼が
のびのびと過ごしてくれればいいと
そして、何か皆と同じならば食べてくれるかもしれないというこちらの都合で選んだ幼稚園。
片道20分の道のりは遠いけれど、
1日、送り迎えでつぶれる日もあるけれど
この1年で随分と成長できるきっかけを与えていただいた。
給食がまったく食べられず、体調を崩してしまうということから始まった生活。
小児科の先生や子育て相談など、慌ただしく駆け抜けていった前半。
自閉スペクトラム症の傾向が強い。
感覚が過敏。
いわゆる発達障害。
言葉だけ並べると割りとインパクトが強い。
でも、わたしはどこか免罪符的な感じもしている。
うまい言葉が見つからないのだけれど、
何かそんな感じがするのだ。
どこの相談先でも
「大変だったね」と労っていただいた。
ただ、子供は彼だけなので、これがわたしの子育ての基準なんです。
大変なのは彼自身なんです。と思っていた。
彼の困っていることは、もって生まれた特性で誰のせいでもない。だからサポートしましょうと言う流れがなんとなく免罪符的な気がするのだ。
これが、個性ですね、様子を見ましょうだと、手だてはない。
自分で調べて、何かするしかない。
この差は凄く大きいような気がする。
正直なところ、彼が発達障害だろうがなかろうが、彼の時間も成長も止められるものでもないし、巻き戻して最初からやり直せるものでもない。
だから、診断名だとかはこの際、関係ない。
彼にしてあげられるサポートをしよう。
という思いのもと、療育施設を探した。
幼稚園に行き、その後、施設の見学。ハードな日々が暫く続いた。
はじめての環境が苦手な彼。緊張の日々だったろうに。
本当はピアノと英語に通わせてみようかとも思ったけれど、それよりも、療育ということになってしまった。
療育で何か劇的に変わるのかと言えばそうではない。
こちらの希望としては
世の中を少しでも気楽に渡って行ける術を身に付けて欲しい。
彼は彼らしくそのままでいいのだけれど
少しばかし生き辛いこともあるだろうから
なんとかそこをうまくやっていければと思う。
本来は親が伝えていくものなんだろうけれど
うまくいかないこともあるからそこは
素直にサービスを使わせてもらおうと思っている。
そんなわけで、幼稚園の他にも始まった療育生活。
近所にないのでこちらも車で送迎。
療育を受けている間は
待合室で様子を見ながら待機。
なかなかわたし自身が疲れてしまう。
最初の数ヵ月はヘトヘトだった。
とは言え、
子供と先生の様子が見えるので
声かけなど参考になることもたくさんある。
そして、他の子の様子も見られるのは実はありがたい。
発達障害と言っても子供たちの特性は実に多様だ。どの子も何かしら生きづらさを抱えながらもまっすぐに生きている。
そんな姿に多くを学ばせてもらっている。
わたし自身、人見知りが激しいのでそこにいるお母さんがたと仲良くなることはないのだけれど
彼はいつの間にか、名前を覚えて、仲良くなったりしている。
困ってしまうこともあるけれど、この一年で彼の素敵なところ、良いところをたくさん見つけることができたと思う。
療育で彼が別人のように優等生になるわけではない。
これは社会で生きていくためのお勉強なのだ。
今の療育がはたしていいのか悪いのかはまだ判断がつかないけれど
彼が楽しみにしている場所と時間であることは確かだ。
日々の生活でこれはできないとちょっとまずいかなぁと思うことも正直言えばある。
いったい、いつまでこうやって手をかけていればいいのか、思い切って突き放せばいいのか悩むことも多々ある。
けれど、彼が何か一生懸命やっていたり、楽しそうに何かしていると、ゆっくりと彼の成長を待とうという気持ちにさせてくれる。
彼が自閉スペクトラム症だという決めつけをわたしはしているのかもしれない。そうゆう目で接しているのかもしれない。
誰かにこの事実を話すと、そう見えないねという反応が返ってくる。
そう、彼は一見、よくいる元気な少年だ。けれど、よく観察するとそうでもないことが多い。繊細だったり、臆病だったりもする。時として頑なに、こだわってしまう。癇癪やらパニックも少なからずある。
だから、彼が苦しくないように、生活しやすいように、できるように。そう考えてきた一年だった。
けれど、いろいろ学んでみて少し考えが変わってきた。
彼は彼らしく生きればいい。ただ、困ったときに誰か手を差し伸べてくれるような人と出会って欲しい。そうゆう力を身に着けてもらいたい。
他力本願みたいだけれど、誰にも迷惑をかけずに一人で歯を食いしばって全部やって、孤独に生きていくより、ともに助け合い、楽しく生きていけるほうが寂しくないんじゃないかと思うようになってきた。
彼が彼らしく生きていける。
そしてわたしができることは彼らしく生きていける環境を作ることへの手助けぐらいだ。
とは思ってもまだまだ、わたしは変わらなければいけない。
分かってはいるのに、怒ってしまう。
ついつい彼の気持ちより、他のことを優先してしまう。
もっともっと一緒に成長していかなければ、いつか彼に追い越されてしまう。
今年は先の予定を立てるのが難しくて、急な変更が沢山。
小さな我慢の上に大きな我慢が続く。
随分とフラストレーションがたまってしまうだろう。
落ち着いていた癇癪が少々増え、少し乱暴な行動も増えてきた。
そうかと思えば、わたしから離れることに不安を覚えたり、
かるくパニックになったりと気がかりなこともあるけれど
その都度、対応していくしかない。
少しづつ、スモールステップ。
今日も彼がハッピーでありますように。
そして、読んでくださったあなたにもハッピーが訪れますように。
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