見出し画像

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書 書籍レビュー

 本書は、著者が提唱する「動的平衡」論をもとに、生物を無生物から区別するものは何かを、分子生物学の生命観の変遷とともに考察した書籍である。

 初めに著者の福岡伸一氏について。福岡氏は、京都大学を卒業後、ハーバード大学での研究生活を経て、京都大学、現在は青山学院大学で教鞭を取る生物学者である。研究生活と並行して、著作活動も行い、主に生命に関する書籍を多数発表している。本書は、2007年に出版され、第29回サントリー学芸賞、第1回新書大賞を受賞、現在まで累計85万部を突破している著者の代表作である。

それでは、本書の概要を紹介する。本書は、
・分子生物学の生命観の変遷
・著者が提唱する生命観である「動的平衡」
について、語ったものである。
 
 初めに著者は、分子生物学の生命観について、次のような記述をしている。

 生命とは何か?それは自己複製を行うシステムである。二十世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった。1953年、科学専門誌「ネイチャー」にわずか千語(1ページあまり)の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結びついた2本のリボンからなっているとのモデルが提出されていた。生命の神秘は二重ラセンを取っている。多くの人々が、この天啓を目の当たりしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった。しかしさらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた。この対構造が直ちに自己複製機構を示唆することを私たちは気がついていないわけではない、と。
 DNAの二重ラセンは、互いに他を写した対構造をしている。そして二重ラセンが解けるとちょうどポジとネガの関係となる。ポジを元にして新しいネガが作られ、元のネガから新しいポジが作られると、そこには、二組の新しいDNA二重ラセンが誕生する。ポジあるいはネガとしてラセン状のフィルムに書き込まれている暗号、これがとりもなおさず遺伝子情報である。これが生命の”自己複製”システムであり、新たな生命が誕生するとき、あるいは細胞が分裂するとき、情報が伝達される仕組みの根幹をなしている。
 DNA構造の解明は、分子生物学時代の幕を切って落とした。DNA上の暗号が、細胞内のミクロな部品の規格情報であること、それがどのように読み出されるのかが次々と解明されていった。1980年代に入ると、DNA自体をいわば極小の外科手術によって切り貼りして情報を書き換える方法、つまり遺伝子情報技術が誕生し分子生物学の黄金期が到来した。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書より

 こうして二十世紀に、DNAが発見され、生命が生まれる仕組みの解明を通して、生命が定義づけられた。”自己複製を行うシステム”との定義に従えば、我々の周りにある石や水を初めとする自然物、機械は無生物。植物、人間を含めた様々な生き物は、生物である。
 そして、遺伝子組み換えの技術により、人間のクローンまで生み出しているのが、現代の生命科学が到達している場所である。

 次に、著者が提唱する生命観である「動的平衡」について触れる。

 著者は、”自己複製を行うシステム”に加えて生命を定義するもうひとつの基準を提唱する。

 夏休み。海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。美しいすじが幾重にも走る断面をもった赤い小石。私はそれを手に取ってしばらく眺めた後、砂地に落とす。ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちには確実に生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を見ているのだろうか。
「生命とは自己複製するシステムである」
 生命の根幹をなす遺伝子の本体、DNA分子の発見とその構造の解明は、生命をそう定義づけた。
 貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何者かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することができる美である。
 動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもう一つの基準(クライテリア)がある。
 

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書より

 著者は、分子生物学が解き明かしたもう一つの生命の側面である、生物の絶え間ない細胞自身の新陳代謝、細胞を構成する分子と原子の新陳代謝から、もうひとつの生命の定義である「動的平衡」について述べる。

 遠浅の海辺。砂浜が穏やかに弓型に広がる。海を渡ってくる風が強い。空が海に溶け、海が陸地に接する場所には、生命の謎を解く何らかの破片が散逸しているような気がする。だから私たちの夢想もしばしばゆたい、ここへ還る。
 ちょうど波が寄せてはかえす接戦ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造をもつその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組みを模した砂粒を奪い去る。吹きつける海風は、砂の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても砂は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。
 砂の城がその形を保っていることには理由がある。眼には見えない小さな海の精霊たちが、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。それだけではない。海の精霊たちは、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえた壊し、修復と補強を率先して行っている。それゆえに、数時間後、砂の城は同じ形を保ったままそこにある。おそらく何日かあとでもなお城はここに存在していることだろう。
 しかし、重要なことがある。今、この城の内部には、数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まっていないという事実である。かってそこに積まれていた砂粒はすべて波と風が奪い去って海と地に戻し、現在、この城を形作っている砂粒は新たにここに盛られたものである。つまり砂はすっかり入れ替わっている。そして砂粒の流れは今も動き続けている。にもかわわれず楼閣は確かに存在している。つまりここにあるのは実体としての城ではなく、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えている動的な何かなのだ。(中略)
 むろん、これは比喩である。しかし、砂粒を、自然を大循環する水素、炭素、酸素、窒素などの主要元素と読みかえすれば、そして海の精霊を、生体反応をつかさどる酵素や基質に置き換えさえすれば、砂の城は生命のありようを正確に記述していることになる。生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。(中略)
 私たちは、自分の表層、すなわち皮膚や毛髪がたえず新生しつつ古いものと置き換わっていることを実感できる。しかし置き換わっているのは何も表層だけではないのである。身体のありとあらゆる部位、それは臓器や組織だけではなく、一見、固定的な構造に見える骨や歯ですらもその内部では絶え間ない分解と合成が繰り返されている。(中略)
 生物が生きているかぎり、栄養学的要求と無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書より

 この事実は、1930年代後半、アメリカのルドルフ・シェーンハイマーという生物学者により、精密な実験で検証されたものである。筆者は、この事実を、新しい生命観の誕生と述べる。そして、「動的平衡」に言及する。

 1944年、シェーンハイマーの死後3年して出版されたシュレディンガーの「生命とは何か」で、すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特性を実現する生命固有のメカニズムを示すことは出来なかった。
 エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを外部に捨てていくことになる。
 つまりは、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能をになっていることになるのだ。
 私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。海辺に立つ砂の城は実体としてそこに存在するのではなく、流れが作り出す効果としてそこにあるそこにある動的な何かである。私が先にこう書いた。その何かとはすなわち平衡ということである。
 自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
 生命とは動的平衡にある流れである。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書より

 以上が本書の概要である。

 私が本書を読んで感じたことは、
〇生命は生きている間に、常に体中の細胞が新陳代謝を繰り返し、一つとして生まれたままの細胞は存在しない。今ここにある自分という生命体も、絶え間なく繰り返される生命活動のスナップショットでしかない。しかし、自分を認識出来る姿かたち、記憶、意識は維持されている。この生命観と事実に、生命の持つ神秘と驚きを覚えた。
〇現在の分子生物学は、物理学と化学を併せ持つサイエンスであり、その研究成果は、細胞の微細な振る舞いまで、解き明かしていた。高校の生物の知識で止まっていた私にとって、驚きであった。
である。

 本書には、分子生物学の生命観の変遷を、そこに至るまでの多くの科学者の研究成果を詳細に解説している。その中で、研究成果を競う学者同士の極めて人間的な競争についても言及している。また、本書は学者が書いた文書とは思えない極めて格調高い文章で構成されている。生命の根源的な意味、現在の社会の大きな部分を変えた分子生物学について、興味をお持ちの方はぜひ一読をお勧めする。

いいなと思ったら応援しよう!