名も無き人の、いまは亡き家族が、どのようにして散ったのか をこれから記していくにあたって
私は小さい頃から心の中で何かを思うことが多かった。
でもそれを言葉として発することもあれば、思っているだけで、思っていることを実行するということができない・やらないということがたくさんあった。
ほとんど思っただけで口にだけ出してやらない。
そんな人生であった。
ずーっとずーっと心の中で思って思って、でもそれを発することができない、外に何かの形として残せないで頭の中でぐるぐる回っているだけで、溜めて貯めて出せないということが、37年間生きてきて変わってこれなかった自分がいる。
そしてそれを出したい気持ちがあるのに
意思が弱くて出せないというか、何か理由と言い訳をつけて出さずにずっと逃げてきた。
出した時に出せないことも怖いし、他人からの評価が何より恐かった。
周りの友達や人はそれを恐れずにどんどん先を歩いて行ってもうみんなどこかに行ってしまった。私がいるところからは見えなくなった。
そして私からの眺める風景には誰一人としていなくなった。
私はずっとその場所に立ち止まっていた。
相変わらず頭の中がぐるぐるぐるぐる。モヤモヤモヤしている。そんな日々。ずっと思っては感じては思い描いては忘れて、忘れるようにして自分の塊でそれが廻っていて梲が上がらない。ただ憂鬱でどこにもぶつけられない日々を重ねるだけだった。
私の夢は洋服のデザイナーになることだった。自分の好きな世界があって、それを表現することを生業としていきたかった。
3つばかりの時にテレビで吉本興業の芸人さんが出ていたのを眺めていた。それを見て家族の誰かが言った。「こういう仕事は不安定だから大変なんだよ。ちゃんとした安定した仕事についた方がいいよ。」それを聞いて、お笑い芸人になりたいとその時には思わなかったけれど、
あ、私、そういう不安定な世界で生きて行こう
とその時に思った記憶がある。
その時そう思った私は34年後、夫に食べさせてもらってただ息をして生きているだけだった。家事も大してできない、先を読んで考えたり行動ができなくて家族のために将来を見越して計画も立てなれない、主婦という仕事もろくにできない、子供のこともろくに見られないそんなただ息をしている人間になった。
ずっと思っていた いつかいつか でずっと生きてきた。
親友は一生懸命生きていて、デザイナーになって夢を叶えた者も入ればイラストレーターとなった者もいれば、企業に勤めて志を持っている者もいる。
私は何にもなれなかった。
自分の思い描く世界がある、私はできるできる 大丈夫って思っていた私は全然大丈夫じゃなかったんだ。
ということを思い知る。
人の評価ばかり気にしてできない理由をもっともらしく述べて逃げ続ける。
そんな人生だった。
そして、私は自分が生をうけた出どころである実家の家族との関わり合いと
自分が作った新しい家族との関わり合い
そして自分の不甲斐なさによって、
時に静かに精神が崩壊したり、
時には心を助けてもらったり、
自分自身と戦ったり
ということを繰り返す日々となる。
一番初めに書いた記事に書いたけれど、私の祖父、祖母、父が亡くなったことで、
今まで見えていなかったものが見えてきたり、
今まで信じてきて歩いてきたものが、私にとっては虚像であったことを知ったり
気づいてしまったり
歩いてきたものが
これ、間違えだったんじゃないのかということにぶち当たることとなる
それはそれは結構、衝撃で、自分にとって打撃だった
信じて歩いてきたものは一体何だったのか
全部嘘だったのか
それは結構絶望的で、私の足は止まった。
正直言って、何度も何度も命を絶ちたくなって
それが自分にとって正義だと思ったことさえある。
私を救ってくれた新しい家族のためにも、
純粋に自分がいなくなることが正義だと感じることもあるし、
それが家族のためになると思うこともある。
でも自ら命を絶とうとする過程でもし失敗してしまったら
家族に迷惑をかけるし、家族をいろんな意味で傷つけることになる。
それだけは避けたいと思う気持ちは持っている。
また自分の中で、思ったり考えたり、またそこでおきまりのぐるぐるモヤモヤが現れる。
そして私を命がけで一生懸命救おうとしてくれる家族がまた消滅しそうになりかけている今、このままじゃいけないと思う自分がいた。
新しい家族は私のために生きているわけじゃない。
もう家族に寄りかかるだけの人生はやめたいと思って、
精神的に自立をしていきたいと思って、
ここに思ったことを書いて出していくことにしました。
こんな私が、自分の思っていることを何らかのかたちで表現したいと
自分の夢を持ってるのは間違えかもしれません。
なんて流暢なこと言っているんだと思われるかもしれません。
でも私はやっぱり自分が思ってきたり考えたことをこれから少しでも表現していって、
家族に迷惑を掛けずに
自分の力で昇華していきたいという気持ちがあります。
それは私の独りよがりかもしれないし、家族にとっての幸せに繋がるかどうかはわからないから、記すことは自分勝手な行為に繋がるのではないかと思うこともあります。
うまくいかないかもしれないし、
迷惑を掛けてしまうかのしれないし、
また道を間違えてしまうかもしれない。
でもまずは拙い文章と画を描くことで、一歩一歩様子を見ながら進んでみるということをやってみることにします。
きっかけは主人の「昼ドラみたいな人生だな」という一言でした。
それを聞いて、
あぁ、私の人生大して壮絶でもないけれど、ちょっと人と違うこともあったなと思って。
人から見たら大したことない人生を送ってきたけれど、需要があるなし関係なく
何らかのかたちで
自分の送ってきた人生を言葉として記すことは自分にとっても心の整理につながっていいかもなと思うところからはじまりました。
ただ、毒親がとか機能不全家族とかそう言ったことだけでは表せなかったというかカテゴライズできるものでもないのかなと思うことがあって。
特に文章が書ける人間でもないので、どのようなかたちで表現していくことが適切なのかをしばらく考えてきました。そしてこういうかたちでやってみようと思うものが見えてきたので、記していくことにしました。
ここに記すことは、私の角度から見た出来事なので、
きっと他の人から見たらここは違うってところがあるかもしれません。
自分の中で起こった自分の解釈で記していくので、
自分に優位に書いてしまっている箇所がたくさんあると思います。
あくまでも私から見た出来事です。
これで私を支えてくれている家族、私の散ってしまった家族を傷つけるために書きたいわけではないのですが、一つ一つの私の表現でもしかしたら傷つけてしまうこともあるのかなとかとも思っています。
探り探りで書くことになると思うので、これ間違えたなと思ったら、編集し直すこともあると思います。
この「名も無き人の、今は亡き家族がどのようにして散ったのか 一粒の希望の光」をもし読んでくださる方がいらっしゃいましたら、
これは私から見たことを記しているので、これが全てではないことはご理解いただければと思います。
私の言葉で伝え間違ってはいけないとも思っており、印象操作をしてはいけないと思っているので、その辺を念頭に置きながら客観視と傍観するかたちで見ていただけますと幸いです。
拙い私の文章と画ですがもしこれから読んでくださる方がいるならば感謝いたします。
あと私は無宗教です。
人によって信じるものは自由だと思うし、各々の人生なので各々が正しいと思う選択を個人やその周りの理解で選んでいけばいいと思っています。
ですので、宗教の勧誘や、宗教以外でも何か別の勧誘はお断りさせていただきたいのでそれは予め記させていただきます。
また、それとは別に
時に心が弱ることもありますが、断じて人としてやってはいけないことをするつもりはないので、ご理解いただけますと幸いです。