由日(ゆうじつ yujistu)

名も無き人の 今は無き家族が どの様にして散っていったのかを記したもの そして私の歩いてきた道の話 歩んできた一つ一つを 私は 一粒の光にしたい それをエッセイのような小説のようなものとして書いています

由日(ゆうじつ yujistu)

名も無き人の 今は無き家族が どの様にして散っていったのかを記したもの そして私の歩いてきた道の話 歩んできた一つ一つを 私は 一粒の光にしたい それをエッセイのような小説のようなものとして書いています

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良くも悪くも自分で歩いてきたここまでの道 〜名もなき人の いまは無き家族が どのようにして散ったのか 一粒の希望の光〜 著:由日 #自分で選んでよかったこと

ライフネット生命 × note × Voicy 投稿コンテスト「#自分で選んでよかったこと」投稿文章 ピアノ  ある日、ピアノやりたい?と母から聞かれた。多分2歳か3歳の時だったと思う。 私はピアノを知らなかったけれど、やりたいと答えた。 また違う日には、水泳、習いたい?と聞かれた。 私は水泳はどういうものか知らなかったけれど、習いたいと答えた。 習い事はたくさんやった。ピアノ、水泳、幼稚園のスポーツクラブ、絵画教室、体操教室、硬筆、習字、合唱団、、、多い時で月曜日から土

    • 名も無き人の、いまは亡き家族が、どのようにして散ったのか をこれから記していくにあたって

      私は小さい頃から心の中で何かを思うことが多かった。 でもそれを言葉として発することもあれば、思っているだけで、思っていることを実行するということができない・やらないということがたくさんあった。 ほとんど思っただけで口にだけ出してやらない。 そんな人生であった。 ずーっとずーっと心の中で思って思って、でもそれを発することができない、外に何かの形として残せないで頭の中でぐるぐる回っているだけで、溜めて貯めて出せないということが、37年間生きてきて変わってこれなかった自分がいる。

      • 名も無き人の、いまは無き家族が、どのようにして散っていったのか、そして一粒の希望の光 #創作大賞2024

        2023年の6月におじいちゃんが亡くなった。 それと共に実家の家族の絆もなくなった。 絆は父が亡くなった時に少しずつ綻びはじめていた。 おじいちゃんが亡くなるその日までもその綻びを私は食い止めることはできなかった。 名もなき人の、今は無き家族が、どのようにして散っていったのかというのを記したいと思った これを私は一粒の光にしたい そのためここに記す 未だ絶望の中、私はどこへ向かおうとしているのだろう 答えは私のみぞ知る でも未だ暗闇をずっと歩く 一粒の光はどこで見つ