不眠症と向き合う

朝の目覚めが悪い。仕事に行くのがつらい。このように感じて目覚める人もいれば、仕事は生活の一部だと割りきって目覚めのいい人もいる。


一日のスタートの時点で両者には差がある。目覚めが悪いのには必ず原因がある。単に前日に飲み歩いて寝不足な人もいれば、不眠症に悩まされて良質な睡眠がとれないという人もいる。


では不眠症になるような人にあげられる特徴について話を進めてみると、不眠症になるということは心理学観点でものを見れば、それだけストレス値が高い環境に身を置いているということが予測される。


では仮にその通りだとして、ストレスにさらされている環境にあると脳にどのような影響があるのかというと、セロトニン、ドーパミンなどの内分泌物質の働きが著しく悪くなることが科学的に証明されている。


ストレスが脳にもたらす影響と言うのは不眠症以外にも様々な影響をもたらすことは既に知っている人も多いと思うが、ストレスが起因して不眠症になった後、これはストレスのせいだろうな。という認識までしたものの、そのあと自分は何故不眠症になったのだろう?と自身のストレスの原因を深堀する人は少ない。


私の父は慢性的な不眠症であるが、やはり自分が何故不眠症になるまでにストレスを感じていたのだろうかというような話を私にしてきた事はこれまでに一度もない。ただぐっすり眠れないのだと言う不満しか話さない。初めは医者に処方された睡眠薬が効いた。


しかしその睡眠薬が効かなくなった。これを薬の耐性がついたから効果が薄れたと言う人がいる。確かにそういう面もあるのかもしれない。私は医者ではないので、そこはわからない。


しかし、ひとつ確かだと思うことは不眠症を発症するほどストレスを抱えているのにも関わらず、父がそのストレスの原因と向き合っていないためにストレスが常態化しているということである。


これは私見に過ぎないが、このような状態では睡眠薬だけで不眠症と闘うのはあまりに受け身である。医者に処方された薬によって完治すればいいなというくらいにしか考えていない。医者の正しい利用の仕方を多くの人が知らない。


医者は万能ではない。自分の健康は自分で守る。この考え方でないと、自分の健康に対して父のように受け身になってしまう。


確かに医者は医学のプロである。しかし繰り返すが万能な存在ではない。父の感覚と同じ感覚を持つことが出来ない。


父がいくら寝られなくてつらいのですと医者に伝えても、医者はその言葉通りにしか受け取れないし、感じられない。父と同じくらい眠れないことがつらいと感覚的にわかるなら処方する薬に種類も選べる。


しかしやはりどこまでいっても父は父であって、医者は医者の感覚に過ぎないのである。これは不眠症以外にも同じことが言える。


今朝お腹が痛くなって仕事もろくに手がつかないくらい痛いと伝えても、医者は今朝から痛みがあるのですね?と聞く。


どれくらい痛みがあるかを我々は重要に思ってほしいから、仕事も手がつかないくらい痛いと伝えるのであろう。しかし医者の立場ともなれば今朝から痛みがあるとすればただの腹痛ではないのかもしれないから検査をいくつかしないと原因が分からないと思う。だから検査をする。


しかし腹痛の患者は今すぐ痛みを取り除いてほしい。原因はすぐわかってもらえるものだと思っている。だから医者は万能ではないのである。


ここで伝えたいのは不眠症になったら自分の健康は自分で守るという態度が必要だということである。その態度がなければ、不眠症と向き合うことはできない。では不眠症と向き合うとしよう。


ストレスの原因はなにかと考える。そうして自分が何故ストレスを抱えるようになったのか深堀し始めるとストレスの原因がひとつやふたつではない事に気が付いてくる。


そもそも私は昔からストレスを感じやすい傾向にあったと気が付いてくる人もいる。そうやって自分がわかってくる。自分を知る事がストレスと向き合うということなのである。


そうして自分は生き方が間違っていたから人間関係がうまくいっていないのかもしれないと思ってもみたり、昨日の妻との喧嘩は私が悪いとわかっていたのに素直に謝罪できなかったことが見えてきたりする。そうやってストレスの原因が案外自分にあるのだとわかってくる。


対人関係の不始末は自分にあると認められれば、改善に向かう。相手が悪い。の、一点張りの人ほどストレスにさらされる。相手の非にしか目を向けないからである。


そのようなきっかけで人と衝突したにしろ、互いに悪いとこがあったと互いに思わなければ、当然解決に向かわない。裏で悪口合戦になるような喧嘩もあるし、殴り合いになって怪我をするような喧嘩にもなる。


誰も問題は自分にあるとは思いたくない。自分が悪いと自分を責めたくはない。この反応は心理的な防衛反応だから仕方がない。しかし対人関係の衝突が解決に向かう時、互いが互いを理解しないと解決しない。


表面上取り繕っても敵意の根が残る。だから形式上の謝罪は逆効果なのである。自分にも非があったと認められる人と、認められない人には差がある。


認められない人は甘えの願望が強い人である。自分は悪いことは一切していないと感じてしまう人は、喧嘩したのだから多少なりとも両方に原因があるとは理解する能力がないのである。相手と心が触れ合っていない以前に自身の心が現実に触れあっていない。


何故なら現実を直視すれば喧嘩し続けるのは体力を消耗するし、自分も相手も辛いだけと理解出来るからである。それが理解できて初めて解決したいという願望が生まれる。その願望が相手を理解し、自分をも理解しないと解決に向かわないという行動の動機となるのである。


これが出来ないというのなら解決するよりも、怒っていたい。相手を理解したくない。自分が悪いと認めたくないということになってくる。


なんだか常に面白くない不満なのである。そうやって退行感情に飲まれて、甘えの感情を強化してしまう。だから相手から謝罪があっても、許してやるよという偉そうな態度になってしまうのである。


そうなると先に謝罪した勇気のある人は不満である。不満であるが喧嘩し続けるのは身体によくない。ストレスを感じ続けたくない。そう思うから相手も自分も受け入れて謝った。だからこの人とはもう関わりたくないと感じてしまう。


だから許してやるよと言われたらありがとうと言って、もうその人に二度と近づかない。


ここでストレスと向き合うことができない人の能力の限界について話していきたいのだが、先に私は喧嘩をした際に相手と自分を理解する能力がないと書いた。


これはどのようなことが起因して、理解能力が欠如したのかということを説明していくことする。それは平たく言うなら脳がそのような作りになってしまったということである。より詳しく説明すると、長期間ストレスにさらされたことで、脳の思考回路がそのように作り変えられてしまったということである。


人間は強いストレスを感じるとカテコールアミンと言うストレスホルモンが分泌される。そのカテコールアミンが分泌され続けることで、脳が緊張状態になってしまう。脳が常に緊張状態に陥ると正常な判断能力が鈍ってくる。


これが心と現実が触れ合わなくなる科学的根拠なのである。この話の文頭で朝の目覚めが良い人と悪い人がいると書いた。朝の目覚めが悪い人が良質な睡眠がとれずに悪いのなら、まずストレスを疑うのが心理学的観点による健康を守る一つの手法である。


アロマオイルをまくらにたらしてみるとか、寝る前にホットミルクを飲んでみるとか、様々な不眠グッズを使用するのも良い。これは健康への態度をしっかり持っている。しかし、様々な手法を試みたものの不眠症が一向に良くならない。


医者の手を借りてもよくならない。このような事態に陥った時は、自分の精神状態やストレスに原因があるのではないかと疑ってみる。


ここまでの文章を読んで、自身の心や生活態度に目を向けてみようと思えたら事態は良くなるのかもしれない。何故ならあなたが自身の健康に対して受け身ではなくなったからである。


さらに自分にも非があるかもしれないと自分と向き合う準備を始めたからである。それは自身の健康にとどまらず、自身の人生への基本的態度を改めようと準備にとりかかったからである。


今まで自分と向き合ってこなかったのは、それがあなたにとって心理的に困難であったからである。しかし先にも書いたが問題が起きた時、問題に向き合えば解決に向かうと書いた。


あなたが自分と向き合う準備を始めたなら。またはそう感じられるなら。あなたの問題は以前より深刻ではない。


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