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人間じゃなくなる日をなくしたい



月曜日が終わったとおもったら、もう週末になっていた。



昨日飾ったばかりだった気がするかすみ草が枯れ始めている。一週間に一回だけと言われた、観葉植物への水やりのタイミングをいつも見失ってしまう。ついさっき届いたばかりのようなLINEに返信をしようと、ふと相手の送信時刻を見ると5日前だった。野菜室の存在は忘れやすくて、気が付くとふやっふやでしなっしなの夏野菜たちがうずくまっている。Googleカレンダーに感謝しながら、毎日なんとかこの社会で息をしている。万が一アプリが消えてしまった時のことを考えて、ちゃんとどこかに別で記録しておかなきゃいけないのだろうけれど。






「人間じゃなくなる日をなくしたい」



去年の同じくらいの時期、ひっそりと配信しているラジオアプリにこんなお便りが届いた。彼女の言っている「人間じゃなくなる」の方向が、私の方向と真逆なことに気付くまでにそう時間はかからなくて、1年経った今でも、最初に読み上げた時の感覚が肌の上で跳ねるように、潤いを保ったまま記憶されている。








一日何もできずに、溶けたようにベッドから出られなくなる日があって、いつの間にか夕焼けを見るのが悲しくなってしまった彼女。

一人で勝手にGoogleカレンダーの隙間に予定をぶち込みすぎて、一人で勝手に溺れかけている私。




どちらも「人間じゃなくなる日をなくしたい」のに、静と動と、あまりに真逆で、私は彼女がなんだか愛おしくなって、同時に、自分にはエラもヒレもないのに随分長く泳ぎ続けていたんだなとやっと気付いた。





「人間じゃなくなる日をなくしたい」



うまく答えられず、あれから何回か「改訂版、レターのお返事」なるものをいくつか収録したものの、聞き返してまたうーんとなってしまい、今もまだ下書きに残っている。








ごみ収集車の去っていく音と共に目覚める朝、部屋に溜まっていくペットボトルを横目に見る時、今年はもう飲まないと決めた翌週の二日酔い、「毎日投稿するはずだったのに」、1ページ目だけ書いたスペイン語の勉強ノート、終わらない真夜中のSNS徘徊、「落ち着いたら連絡するね」はいつまで経っても落ち着けない、毎日付けるはずだった家計簿アプリ。




何をしたら人間で、何をしなかったら人間じゃないなんて定義はなくて、私たちはただ息をしているだけで、どうやったって抗えないほどにちゃんと人間なのに、日々のつなぎ目には自分にため息をつきたくなるような一コマが無数に散らばっていて、ちゃんとした人間生活というものを送れていないような気分になる。



そんな責めなくたっていいのにね。いいのになぁ。自分を愛することって他のどんなことよりも難しいことなのかもしれない。そんな詩や文章、あったな。



自分を愛することが難しくて、だからこそちゃんとした人間をやりたくて、だけどどうしたらそれができるか分からなくて、気付いたら難易度最上級の道を選択してしまう。選んだ先で足がつって溺れそうになっても、「自分で選んだ道だから」とひとりで戦ってしまう。いつからかそんな思考が、増えたように思う。私もそうだ。



それならば選択肢そのものをもっと生きやすいように、愛をもってできたらなと思う。そのために自分ができることを探して、自分にインストールして、シェアする。そんな風に生きる。それが私なりの人間であるということ、なのかもしれない。


夕焼けは晴れ






この記事を書いた人

marie (ピラティスインストラクター)

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