船乗りを夢見た少年が見つけた天職
大衆居酒屋が立ち並ぶ横浜・野毛の地で、戦後間もない頃から多くのお客さんに愛されてきた「もみぢ菓子司舗」。
店頭には、甘くてふわふわの名物・どら焼きや、色とりどりの練り切り、大粒のみたらし団子などが立ち並び、どれを買おうか迷ってしまう。
そんな「もみぢ」を共同経営という形で切り盛りする、店主の西村さん。
その朗らかな雰囲気とチャーミングな笑顔に、なんだかほっとして、何度でも会いにきたくなる。
西村さんと「もみぢ」の、これまでの歩みを聞かせてもらいました。
本当は船乗りになりたかった
ー 和菓子職人を始めたきっかけは何だったんですか?
西村さん:もともと富山の生まれで、当時は船乗りになりたいと思っていたんです。小さい頃から海が好きで、釣りが好きで、自分で魚を捌くのなんかも好きだったし。
それで、船乗りになるために横浜に行きたいと思って、両親に言ってみたんだけど…「田舎を出るなんてありえない」と反対されてしまって。
それでも、どうしても諦めきれずに、親の反対を押し切って上京したんです。
ー そこからどうやって和菓子職人に行き着いたのですか?
西村さん:親の反対を押し切って、高校卒業後、夢いっぱいに上京してきたんだけど、当然実家からの援助を受けることはできず、家を借りるためのお金もなければ保証人もいない…ということで、困っていた私を下宿させてくれたのがここの先代だったんです。
ー 先代とはもともとお知り合いだったんですか?
西村さん:富山の実家の近くで、お寺さんの息子さんが同級生にいて仲良くしていたんだけど、その子の親戚が横浜にいるっていうんで、それで尋ねたんです。
ー 下宿しながら船乗りを目指したんですか?
西村さん:うーん。今日を生きるためのお金もないような状況だったし、下宿させてもらう代わりにお店を手伝う、っていう話にもなってたから、まずはお店に立ち始めて…で、気づいたら今になってました。笑
ー ええ!結局船乗りには一度もならずに?
西村さん:そうですねえ。船乗りになりたかったのは確かなんだけど、お店を手伝っているうちにどんどん和菓子職人の仕事も楽しくなってきて。
もともと、子供の頃よく釣った魚を捌いて調理したりしていて、手を動かすのは好きだったからねえ。和菓子作りは、やってみるとすごく楽しい仕事でしたよ。
ー 和菓子職人になって約50年経った今でも、変わらずに楽しいですか?
西村さん:はい。ありがたいことに、あの頃と同じか、それ以上に、毎日「楽しい」と感じながら和菓子を作っています。
そりゃあ大変なこともあるけど、ずーっと楽しいですよ。
たった1個の和菓子を買ってくださるお客様が大事
ー そんなにもずっと楽しいと思える仕事に出会えるなんて羨ましいです。特にどんな時にやりがいを感じるんですか?
西村さん:やっぱり、自分の作ったお菓子を買いにお店に足を運んでくださるお客様がいることと、その方々に「美味しい」と言ってもらえることですかねえ。シンプルですけど。ご近所の方でも、遠方の方でも、わざわざお店に来てくれたんだ、と思うと本当にありがたいです。
ー シンプルだけど、素敵なことですね。
西村さん:そうなんです。特に、1個のお菓子を買ってくださるお客様がいらっしゃることは本当に嬉しいです。
よく、「1個しか買わずにごめんなさい」と言われるんですけど、全然そんなことはなくて…むしろその1個が嬉しいんです。一番嬉しいのは、その1個が美味しくてまた買いに来てくださること。1個でも10個でも、買いに来てくださった事実は同じ。一人ひとりのお客様の「美味しい」がとにかく励みになりますね。
あくまで経営者ではなく職人
ー ところで、このお店は共同経営という形を取られてるんですよね?
西村さん:そうなんです。私と、古瀬の二人で共同経営という形をとっています。
ーご夫婦やご兄弟ではないのに共同経営という形を取られているのは珍しい気がしますね。
西村さん:そうですね。もともと彼と私は同じく先代のお店で、見習いから入って職人として働いていて。確か彼が5年くらい後に入ってきたんだと思うんだけど、同志みたいな感じで一緒に仕事をしていました。
それで、ある時、先代から「自分は職人を辞めようと思うんだけど、二人でこの店を買い取らないか?」と言われて。二人で話して、じゃあやろう、ということになりました。
ーなるほど。店を引き継ぐにあたっての不安はなかったんですか?
西村さん:そりゃあ少しはあったと思うんですが、何より「看板商品であるどら焼きがあればやっていける」という自信がありました。
当時はよく、「もみぢさんには看板商品があるから良いよね」なんて知り合いの和菓子屋さんに言ってもらったりしましたけど。ありがたいことに、「もみぢといえばどら焼き」と皆様に認知いただけるような商品を先代が作ってくれてて、それ目当てに足を運んでくださるお客様もいらっしゃったので。
この商品をきちんと育てていけばやっていけるだろう、と思っていました。
ー本当にどら焼き美味しいですもんね。(取材メンバーもたくさんお土産に買って帰りました)
西村さん:ありがとうございます。実は、二人で経営するようになってからあんこを変えたんですよ。これまで使用していた小豆の倍以上の値段のする「丹波大納言」を使い始めて。値段は高いんだけど、それにあった価値・味を持った小豆で、この豆を使ったあんこは他には負けない、という自負があります。
ーなるほど…!看板商品をさらに成長させたんですね!
西村さん:やっぱり、僕たちは店を持っているけれど、あくまで職人なんですよね。経営者ではない。採算を取ることよりも大事なのは、「美味しいものを届けること」。儲けを考えると材料費を抑えた方が良いんだろうけど、そういう風にはできないので。そこは、二人で一致しているところかなと思います。
公私をともにする相棒
ー お二人はあんまりお仕事中に会話されないですよね?
西村さん:そうですねえ。基本的には必要最低限の連絡事項だけですね。笑
ー 何だか熟年夫婦のようですね。笑
西村さん:ただ、先ほど言ったように、二人とも「美味しいものを作りたい」というところは一致しているのと、それに向かってやるべきことがわかっているので、あまり会話は必要ないのかもしれません。
ー まさに相棒ですね。
西村さん:そうですね。今は色々と状況が変わったんで行けてないんですけど、昔は僕たち二人と仲間数人と旅行をしてたりもしたんですよ。
会の名前も決めて、「1年に1回は必ず行こう」と。47都道府県を回るのが当時の僕らの夢でした。笑
ー プライベートでもそんなに深い関わりがあって、仕事もされて。揉めたりすることはなかったんですか?
西村さん:一度もないですね。特別仲が良いということでもないけど、もちろん仲が悪いわけでもない。家族とも友達とも違う…まあ、やっぱり「相棒」ですかね。
和菓子屋が天職だったから、きっと今ここにいる
ー 西村さんが、こんなにも長い間和菓子職人を続けてこられた理由はなんだと思いますか?
西村さん:お菓子は自分の人生の楽しみだし、生きる術だと思ってます。全部ひっくるめてそこじゃないですか。
ー「辞めたい」と思ったことはなかったんですか?
西村さん:ないですね。休みたい、サボりたい、みたいなこともほとんど思ったとないです。若い時は、「仕事だから作らなければいけない」というような感覚が少しはあったかもしれないですが、今は作れることが楽しくて、「まだこんなに作れるんだ」と毎日嬉しくなるんです。だからずっと元気でいたい。そのために、保土ヶ谷の自宅から急な坂道を超えて毎日自転車で20分かけて通っています(笑) 足腰だけは鍛えておかないとね。
ーさすがです。職人を始めた頃は、こんなにも長く続けると思っていましたか?
西村さん:それはわからないけど、「長く続けよう」みたいな感覚ではなかったかもしれません。どちらかというと、「1日1日の積み重ねで今がある」という感じ。1日でもおろそかにしていたら店も潰れていただろうし、自分もどうなっていたかわからない。必死に毎日お菓子を作って、「今日もできた。美味しいと言ってもらえた。」が続いている、といった感覚です。
ーじゃあ、「船乗りになればよかった」と一度も思わずですか?
西村さん:そうですね。もちろん今でも釣りも海も大好きだし、「船乗りの人生だったらどんなだったかな」と考えたりもしますが、後悔はないです。
それに、船乗りの仕事はお客さんの反応を直接みることはできないですからね。和菓子職人ならではの喜びはそこにあるんじゃないですか。
何よりも、「ここまで楽しくやってこれた」という事実が、「和菓子屋が自分の天職であった」ということを物語っていると思います。
取材後記
店舗紹介
御菓子司 もみぢ
〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町2丁目64
営業日:月 - 土:10:00 - 21:00、日・祝:10:00 - 17:00
電話:045-231-2629